Essay
電車と本 2
#76|文・藤田雅史
お盆休みに、珍しく何の予定もない、丸一日ぽっかり空いた日があった。連日、墓参りだお祭りだバーベキューだ息子のサッカーだと忙しなく動き回っているさなか、その日だけ本当にうっかり忘れられたようにぽっかりと、スケジュールが真っ白だった。
こんな日はゆっくり読書をしたいな、と思い、午前中のうちに本屋に行った。なんとなく小説が読みたい気分だった。それも純文学系じゃなくて、エンタメ系の、ハラハラドキドキするサスペンスがいい。夏の文庫フェアのコーナーをぐるぐる回って、新潮文庫の帚木蓬生『白い夏の墓標』を買った。一日で読み終わるのに手頃な厚さだった。
家に帰ってから、エアコンをがんがん効かせた部屋で横になり、本を開いた。冒頭を読みはじめてからふと思いついた。そうだ、こんな日は家で寝ながら読むなんてもったいない。電車読書をしよう。
学生の頃、電車で本を読むのが好きだった。携帯電話がまだスマホではなく、ディスプレイも有機ELどころかカラーでさえなかった時代、電車に乗るときの暇つぶしといえばポータブルCDプレイヤーか本しかなかった。通学には往復で二時間くらいかかっていたので、薄めの本ならその往復で一冊読めた。吉本ばななや山田詠美をよく読んだ。一週間かけて、宮本輝の長編の上下巻をじっくり読んだりもした。残りページがあとわずかで降車駅に着きそうなときは、そのまま降りずに電車に揺られ、終点で折り返した。学生時代が終わっても、通勤電車で本を読んだ。
バスや車、船で本を読むと、すぐに酔って気持ち悪くなってしまうのだけれど、電車だけはその揺れがなぜか心地いい。揺れのリズムが常に一定だからか、震動の種類が違うのか、理由はわからないけれど、がたごとがたごと、電車の小刻みな揺れは読書に集中できた。
今はもう普段電車に乗らない生活をしているので、久しぶりの「電車読書」である。とりあえず最寄りの駅まで歩いて、最初にホームにやってきた各駅停車の電車に乗った。本を読むだけだから、目的地はどこでもいい。余計なことは考えなくていい。どこかで折り返して、夕飯までに家に帰って来られればいい。車内は涼しく、利用客はまばらで、四人掛けのボックス席の窓際、進行方向に向いたベストポジションを確保できた。
本を開くと、電車が途中の駅で停まっても、再び発車しても、もう気づかない。今どの辺を通過しているのかもわからない。ただ物語がひと区切りつくたびに顔を上げ、あ、今この辺か、と確かめるだけである。
電車読書でひとつ残念に思ったことは、シートが硬いことだ。新幹線や特急電車は長時間の利用が前提だからリクライニングの調整ができたり、シートも柔らかめに作られたりしているけれど、普通電車は背もたれの角度が直角に近く、クッションも硬い。ずっと同じ姿勢で本を読んでいると、だんだん腰が痛くなってくる。ムズムズとお尻を動かし、腰を前に出したり後ろに引っ込めたりしないといけない。学生時代はそんなに腰を気にした記憶がないから、これは年齢的なものだろうか。それとも僕がかつて毎日利用していた西武新宿線の黄色い車両よりも、この車両のシートが硬いのだろうか。
ちょっと疲れたな、というところで、ひと区切り。顔を上げる。頭の中は小説の舞台であるアンドラの山岳地帯が広がっているが、目の前に広がっているのは日本の田園風景である。抜けるような青空と、もこもこの入道雲。電車はいつのまにか町を抜け、田舎のど真ん中を走っていた。山が近い。鳥が飛んでいる。稲穂の緑が鮮やかで眩しい。なにもかもが美しい。
ああ、思えば遠くに来たものだな。そのとき、本から手を離してやけに感慨深い気持ちになった。
学生時代からこんなふうに本を読んできた。あのときの線路の続きを、あれから四半世紀経った今も同じようにこうして走っているようが気がする。人生って時間だな、と思う。楽しい時間はいつだってあっという間に過ぎてしまう。気づけば別の場所にいる。いつのまにか自分が変わったような、でも全然変わっていないような、よくわからないおぼつかない気持ちのまま、ただ時間だけは前に前に、勝手に進んでいく。僕らは運ばれていく。そんなことをつらつら思いながら、一度うーんと伸びをして、腰をさすり、ページを開いたまま伏せておいた本を手に取ってまた続きを読んだ。
結局、終点まで電車に揺られ、いったん降りてホームの自販機で冷たい麦茶を買ってから、別の電車に乗り換えて、また来た鉄路を引き返した。
ただ電車に乗って本を読むだけの半日。人によってはこれを、もったいない時間の過ごし方だと思うだろう。目的もないのに交通費を使うのはお金の無駄遣いだと考える人もいるだろう。非生産的だと眉をひそめる人もいるだろう。でも、自分の過ごした時間を自分で満足できれば、もったいないことでも無駄なことでも、それはそれで全然ありだ。
電車を降りて、うだるような暑さの中、読み終えた本を片手に駅から歩いて家に帰る。ぬるくなった麦茶の残りを喉に流し込みながら、お盆らしく、亡き父や祖父母のことを少し思った。彼らの人生にも、こんなひとときがあっただろうか。ただ本を読んで満足するだけの一日が。電車読書しちゃうような休日が。あったらいいな、と思う。父も、祖父母も、そういうタイプの人たちではなかったような気もするけど、まあそれはそれとして。この世とあの世の近い場所で、「いいお盆休みだったね」「うん、おかげさまで」なんて言いあえたら。日の暮れはじめた西の空に、心の中でそっと手を合わせて、本の世界よりもちょっと現実に近い妄想を膨らませる帰り道だった。
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BOOK INFORMATION
「本とともにある、なにげない日常」を、ちょっとしたユーモアで切り取る、本にまつわる脱力エッセイ『ちょっと本屋に行ってくる。NEW EDITION』11月25日発売。>>詳しくはこちら
藤田雅史『ちょっと本屋に行ってくる。NEW EDITION』
issuance刊/定価1,760円(税込)