Essay
スピードと本
#78|文・藤田雅史
このところ、毎日本を読んでいる。
中編程度の長さの小説を朝イチで一編読む新しい生活習慣を獲得したのは、先月書いた通りだ。またどうせ三日坊主で終わるだろうと思いきや、うっかり寝坊してしまった朝でも、早朝から仕事の予定が入っているときでも、例えば中編ではなく短編を選ぶなどして、とりあえずなんとかその「一日一編」の習慣を継続している。
朝の小説以外にも、夜はまたお風呂で別の本を読んだりもするから、一日平均で60〜100ページ分くらいはページをめくっているだろうか。先々月あたりに、「月に一冊も本を読まない人の割合が六割超え!進む読書離れ!」という記事がいろんなメディアで取り上げられたが、今の時代、「一日100ページ読む人」というのは、おそらく世の中の全体の1割、いや5%にも満たないだろう。現代ではただの、珍しい人、である。
とはいえ、本は読むけれど、けして「読書家」ではない。読書家と胸を張れるほどいろんな本を読みこんでいるわけではないし、本を読むのがちっとも楽しくない、そんなバイオリズムのときもある。ただ本を買ったり読んだりするのがなんとなく自然で楽しいから、本を手にとっている。基本的に自分が面白そうだと感じる本しか読まない。読書家ならば当然一度は目を通しているであろう名作、古典の類は、恥ずかしながらほとんど読んでいないかもしれない。文学青年だった過去もない。繰り返すが、僕はいわゆる「読書家」ではない。
それでもやはり、周囲からは読書家だと思われていたりする。本にまつわるエッセイ、なんて書いているし、実際に本も出しているから、当然、かなりの量の本を読んでいる人、つまり読書家と勘違いされる。そして読書家はよく質問される。
「で、どのくらいのスピードで読むんですか?」
なぜ人は本を読む速さをそんなに気にするのだろう。
かなり前だが「速読」というのが流行ったことがあった。いかに読書の時間を短縮して、かつ本の内容を的確に理解するか。飛ばし読みや斜め読みとは違う、特殊な技術があるらしい。忙しいビジネスマンが寸暇を惜しんで本を読む、限られた時間内でできる限りたくさんの知識を吸収する、そういったニーズがあっての話だと思うが、そういう目的の読書以外、本はただ速く(早く)読めばいいというものではない。それは早食いにそれほど価値がないのと同じだ。でも、「速く読む奴ほどすげえ」という価値観はなぜか存在するし、「読書家」は今もなぜか期待されるのだ。
「やっぱ読むの速いんすね!」
質問者はほぼ全員、数秒後にそう言って納得したそうな顔をしている。
ちなみに僕は、1ページ1分弱、が目安だ。会話や改行ばかりでスラスラ読める小説だったら大幅に時間は短縮されるし、1ページに活字がびっしりの小難しい本だったら、60ページ読むのに1時間じゃ足りないかもしれない。でもだいたい、1時間あれば平均して80〜100ページくらいは読む。速度としては、普通、ではないかと思う。ググってみると、1分で400〜600字くらいが平均、ということらしく、その平均に照らし合わせれば多少速いくらいかもしれないが、速い人はたぶんもっと速い。
夢中になると、読み終わるのが早い。分厚い本でも、面白いと結構あっという間に読み終わる。宮部みゆきの『模倣犯』は、分厚い文庫で全5巻、1ヶ月くらいかけてじっくり読もうと思ってまとめ買いし、読み終わったらほんの数日だった。
思うに、速い(早い)こと、そのものに価値はないが、速く(早く)感じる本にはそれなりに価値がある。そんな気がしている。「藤田さんの本、あっというまに読み終わりました」そう言われると、(中身がないって言いたいの?と思うときもあるけど)、けっこう嬉しい。
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BOOK INFORMATION
「本とともにある、なにげない日常」を、ちょっとしたユーモアで切り取る、本にまつわる脱力エッセイ『ちょっと本屋に行ってくる。NEW EDITION』11月25日発売。>>詳しくはこちら
藤田雅史『ちょっと本屋に行ってくる。NEW EDITION』
issuance刊/定価1,760円(税込)