Essay
絵本と本
#80|文・藤田雅史
年末は大掃除と決まっている。普段、自宅の掃除なんてちゃらんぽらんにしかやっていないから、せめてこのときくらいは真剣にやっておかないと、生活がひどく荒んでしまう。
とはいえ、年末の一日や二日で、家の中のすべてをきれいにすることはできない。重点的に取り組むところとそうでないところが出てくる。「あー、あそこもやらなきゃ」と思いつつ、ちらりと目をやっただけで何も見なかったことにする場所もある。恥ずかしい話だがいくつもある。
かつて家族の寝室に使っていた洋間にある、絵本が詰まっている棚もそのひとつだ。無印良品で買った、大人の背の高さほどの木製棚の、腰から下のスペースには、埃をかぶった絵本がぎっしりと詰まっている。
うちの子は、上の男の子が今年から中学生、下の女の子も小学校の高学年に上がる。だからもう絵本を読むことはない。その棚を見るたび、使わなくなった玩具と同じようにそろそろ絵本も片付けなきゃな、と思うのだけれど、「でもまあいいか、ちょっとこのままにしておこう」がもう何年も続いている。
息子が小さいとき、夜の寝かしつけには、絵本が欠かせなかった。布団にもぐる前にその棚から三冊くらい選ばせて、読み聞かせる。子育てを経験した方ならご存知の通り、子どもというのは寝ろと言って素直に寝てくれるものじゃない。一冊では足りず、二冊でも足りず、三冊くらいは手元に置いておかないといけなかった。読み聞かせている僕が先に寝てしまうこともしばしばだった。
息子は工事車両を溺愛していたので、「ざっくん!ショベルカー」「みんなで!どうろこうじ」などの竹下文子・鈴木まもるコンビのはたらく自動車が主人公のシリーズがお気に入りだった。僕は僕で、自分が小さいときに好きだった、渡辺茂男・大友康夫の「くまたくん」のシリーズをよく選んだ。「ぶたぶたくんのおかいもの」(土方久功)や「3じのおちゃにきてください」(こだまともこ・なかのひろたか)も。
ただ、毎晩、読み聞かせる側のコンディションが良好であるとは限らない。仕事で疲れ果て一刻も早く眠りたい夜もあるし、気分がのらずに(あー読むのめんどくさいな)と思うときもある。そんなとき、息子が選んだ本が、「おさるのジョージ」のシリーズだとげんなりした。いや、ジョージは好きなのだ。でもジョージの本は文字が多くてやたら長いのが多いのだ。猿のくせに。
そのうち僕は、とにかく文章が短くて、あっというまに読み終わる絵本ばかりを息子にレコメンドするようになった。息子が選んだ本が長いものだったりすると、ときどき勝手にページをはしょって読み進めたり、息子が文字を読めないのをいいことに物語を勝手に短く改変したりと、姑息な手を使うようになった。今でもその罪悪感は多少残っているが、まあ、彼はおぼえていないだろうから問題はない。
娘のときも、それほど回数は多くなかったが、寝る前の読み聞かせをした。バーバパパ、おたすけこびと、バムとケロ、そらまめくんのベッド、しろくまちゃん、こぐまちゃん、ノンタン、だるまさん、みんななんだか、懐かしい友達のようだ。冬はクリスマス、夏はキャンプ、秋になれば、春になれば、その季節を感じる絵本を選んだ。もしかしたら子どもたちは、そうやって季節を覚え、季節の楽しみ方を知っていったのかもしれない。「パンダ銭湯」のシュールなパンダと一緒に、子どもたちは、温泉でもスーパー銭湯でもない、昔ながらの町の銭湯の存在を知る。絵本は、この世界の入り口のようなものだった。
でももう、今となっては誰も絵本に手を伸ばさない。せめて、整理整頓くらいはしなきゃ、と思う。ただ、絵本を人にあげたり、買取店に持っていったり、捨てたり、そういう「処分」をする気にはならない。処分、という言葉をいま漢字変換しただけで、小さく胸が痛む。
そういえば実家にも、僕が小さいときに読んだ絵本が、小学生になっても中学生になっても、高校を卒業してもずっとそのままとってあった。マンガや雑誌はいつのまにかきれいさっぱり処分されていたけれど、絵本だけはそのまま、時間を止めたように、同じ場所にずっとあった。
掃除機をかけながら棚の前で足を止め、しばし考えてみる。絵本に対する愛着というのは、純粋な「好き」そのもののように思う。その「好き」には、見栄も打算も駆け引きもない。愛情を裏返してもけして憎しみにはならない。そしてどれだけ埃をかぶっていても、それはみんな、この世界に生まれた証である。親に愛された証でもある。繰り返し読んでぼろぼろになった絵本ほど、美しいものはない。
やはりこの場所はまだ、きれいにする必要などない。
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BOOK INFORMATION
「本とともにある、なにげない日常」を、ちょっとしたユーモアで切り取る、本にまつわる脱力エッセイ『ちょっと本屋に行ってくる。NEW EDITION』11月25日発売。>>詳しくはこちら
藤田雅史『ちょっと本屋に行ってくる。NEW EDITION』
issuance刊/定価1,760円(税込)