Essay
雨漏りと本(前編)
#81|文・藤田雅史
今回は、拙著『ちょっと本屋に行ってくる。』の「本棚、マイワールド」「続 本棚、マイワールド」の項の続きとして読んでいただきたい。
いちおう簡単に説明をすると、数年前に、書庫を作ったのである。職場に使っている建物の別のフロアを改装し、自宅に収まりきらなくなった約二千冊の本をまるごと収容した。ほんの一間だけの狭い部屋だが、ついでにソファも置いて、ウォーターサーバーやらスピーカーやら観葉植物やらその他インテリア小物もいろいろ置いて、好きなときにいつでもリラックスして本を読めるようにした。結果、かなり居心地のよい快適な空間になった。
快適すぎて、今やただの書庫ではない。そこで仕事もするし、昼寝もするし、人を招くこともある。
「本、いっぱいありますね」
「いやまあ、そんなでもないです」
「ここにある本、全部読んだんですか?」
「八割くらいは読んでいるはずです。でも読んでも内容すぐ忘れちゃうんですよね、ははは」
「わかります、ははは」
はじめてこの部屋を訪れる人とは、だいたいそんな会話になる。
「このあたり、私の部屋の本棚と同じのが並んでます」
「え、ほんとですか?」
「なんか他人の本棚じゃないみたい」
なんて共通点を見つけて話が盛り上がることがあれば、
「本の趣味、全然かぶってないですね」
と盛り下がることもあるし、
「ていうか、本棚を人に見られて恥ずかしくないんですか?」
とディスられ気味に言われたこともあるけど、まあそれはそれとして。
ただシンプルに本を収納する部屋を作るつもりが、気づけば一日のうちで最も長く過ごす部屋、自分のしたいことが何でもできる部屋、まさにマイワールドそのもののような場所になった。キッチンはないが、IH調理器はある。あと風呂さえ設置すればここに住める。いつか家出することがあればここに住もう。そう思っている。
ところが、である。そんなマイワールドに、正月、休み前に置き忘れた本を取りに行ったら、異変が起きていた。
電気がつかないのである。
おや。スイッチをぱちぱちと何度かオン・オフしても、つかない。え、なんで? 正月だから? ああ、そうか、電気も正月休みになるのか。妙なことを思ってうっかり納得しそうになるが、そんなはずはない。
停電? まずそう考えて窓の外を見れば、でもご近所の家の明かりはついているし、そもそもこの建物、階段室の蛍光灯はついていた。三階建ての三階の、この書庫の部屋だけ電気がつかなくなっているのだ。おやおや。これはおかしい。
配電盤を見てみる。案の定、ブレーカーが落ちていた。この時点では、事態をさほど深刻にはとらえていなかった。ブレーカーが落ちていれば、ブレーカーを上げれば電気はつく。ブレーカーのつまみを押し上げる。電気がつく。よかった。ほっとした。
のも束の間、またすぐにブレーカーががたんと落ち、明かりが消えた。えっ。もう一度ブレーカーを上げる。今度は電気がつかず、つまみが瞬時に落ちる。もう一回上げてみる。落ちる。そしてもう、上げようとしても上がらない。
うーん、どういうことだこれは。困った。電気がつかない部屋は暗い。電気がつかなければMacを起動できないから、休み明け、仕事ができない。まいった。なにより正月である。真冬だ。寒い。エアコンは無論のこと、ガスのファンヒーターも電気が通らないとスイッチを押しても作動しない。とりあえずトイレに行きたかったので入ったら、便座のあまりの冷たさに震え上がった。ええっと、こういうときどうしたらいいんだろう。
用を足し、トイレの水が流れることだけは確認し、これは電気関係ないから大丈夫ね、と少し安心してトイレから出たところで、また、おやおや、と立ち止まった。壁際で、足の裏が濡れたのだ。ものすごく冷たい。フローリングを見下ろすと、何もこぼしていないのに小さな水たまりができている。ん、なぜ水が? 何かこぼしたっけ? 耳をすませば、窓際から、ぽたぽた、雫の落ちる音が聞こえる。
なんと雨漏りだった。
雨漏りで電気が止まるとか、これ、やばいんじゃないか。
正月だから少し躊躇したものの、さすがにこの事態は、と思って、書庫の改装の施工をしてくれたビルダーさんにメールを送った。すぐに返信があり、電気工事の業者さんも正月休みなので、早くても対応は正月明けになるという。ですよね。それでも数日後にちゃんと来てくれならありがたい。そう思ってふと天井を見上げ、息をのんだ。
本棚の上の天井の色が変わっている。雨水が、本棚の近くまで迫ろうとしている。これは電気がつかないどころの話ではない。だってこの部屋は書庫である。100%紙でできている本にとって、水は大敵だ。いやな想像が瞬時に頭の中を駆け巡った。雨水が天井から滝のように際限なく流れ落ち、書庫のすべての本が水浸しになる映像が広がる。部屋がタイタニックの船室のように沈んでいく。
いや、ちょっ、待って。これはまずい。え、どうしよう。本、もしかして全部避難させてないといけない?
正月早々、書庫(マイワールド)に、最大の危機が訪れようとしていた。
……続きは来月。
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BOOK INFORMATION
「本とともにある、なにげない日常」を、ちょっとしたユーモアで切り取る、本にまつわる脱力エッセイ『ちょっと本屋に行ってくる。NEW EDITION』11月25日発売。>>詳しくはこちら
藤田雅史『ちょっと本屋に行ってくる。NEW EDITION』
issuance刊/定価1,760円(税込)