Essay
老眼と本
#84|文・藤田雅史
遠い未来の話をするとき、人は遠い未来を想像しきれない。千早茜の『神様の暇つぶし』を文庫で読んでいたら、その中に、《 突然の事故で父を失ってなおも、私は死のにおいに鈍感だった。それは私が若く、圧倒的に死から遠かったせいだ 》という箇所があった。そう、若いうちは肉親や親しい人の死に接しても、自らの死に近づくことはない。しかし年齢を重ね、たくさんの身近な人の死に接するたびに、だんだん、それは遠い未来の話ではなくなっていく。
とても好きなタイプの小説で、読み終わるのが惜しいくらいだったのだけれど、少し気になることがあった。ちょっと読みにくいのである。誤解を招くといけないので断っておくと、文体が読みにくいとか、組版が悪いとか、そういうことではない。むしろ読みやすい。そうではなく、読んでいてなぜかときどき視界がぼやっとしたり、版面がふわっと霞んだり、ページをめくっても、焦点がすぐに定まらなくてイライラしたりするのだ。
疲れているのかな、と思った。ここんとこ仕事で忙しいし、寝不足だし、花粉症だし。そりゃ目、疲れるよね。そういう日もあるよ。そしてそのことを人に話した。
「老眼ですね」
ものごとをすぐに断定する人はきらいだ。
以前から、老眼という生理現象の存在は知っていた。でも人は、老眼を知っていたとしても自らすすんで老眼になることなどできない。先の表現を借りるなら、「私は老眼のにおいに鈍感だった」ということになる。そんなのは、遠い未来の話だと思っていた。四十代の半ば。水晶体が硬くなり、弾性力が低下して、近くを見るときにピントが合わなくなる、その症状を自覚するのに、ところがどうやら、それは標準的な年齢であるらしい。
かつて商業印刷のデザインの仕事で食べていたとき、よく、文字が小さすぎてお年寄りが読めないからもっと大きく、と注意され、渋々文字サイズを大きくしながら、(うーん、組版がかっこ悪くなっちゃったな。これは若い人向けの誌面だから小さい字でも別にいいのにな……)と内心反発していたけれど、今はそういう細かな文字組を見ると、おいおい、こんな小さい文字で読ませる気あんのかこら、と憤ってしまう。文字サイズが極端に小さく、字間も行間もぎゅぎゅっと詰まった昔の文庫本の版面など、もはや肥大化したQRコードにしか見えない。
まだまだ若いつもりでいたが、それはもう、そういうことなのか。
「ま、それが普通だよ」
ものごとをすぐに断定する人はきらいだ。
最近、同級生や年齢の近い人に会うたび、聞いている。
「ねえ、老眼、はじまってたりする?」
普通に、いる。いる、というか、はじまっている人のほうが多数派だ。なかにはリーディンググラスなどという、逆にわざと焦点をぼかすようなネーミングの老眼鏡をすでに持ち歩いている人もいる。彼らは口をそろえて言う。
「もう一生治らないよ」
ほんと、きらいだ。
Sさん「美容院で雑誌とか見れなくなった」
Kくん「夜中はスマホの画面がにじんで何も見えない」
Mくん「仕事するときもパソコン使うのがちょっとつらい」
Zさん「もう本とか読む気しないよね」
Aさん「旦那の顔がぼやけてむしろ都合がいい」
もはや老眼の集いである。若い読者もおられると思うのでいちおう説明しておくと、老眼になるとものを見るとき近くにピントが合いにくくなる。だから本や新聞などの細かな文字が読みづらい。視界がかすんだようになり、薄暗いところではさらに見えづらい。老眼のせいで肩こりになる人もいるらしい。
ところで僕はそもそも、近眼だ。子どものときからひどく視力が悪い。眼鏡を作るときにオプションの追加料金を支払ってどれだけ最新の薄型レンズを所望しても、常に牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡が仕上がってくるほどのど近眼である。これまで身近な人との目の悪さ自慢(コンタクトレンズの数字を比較する競技)で負けたことがない。
近眼というのは、遠くのものが見えないのである。ど近眼の場合、遠くだけでなく近くのものもまた、よく見えない。食品のパッケージの成分表など、目から十センチの距離まで近づけてもまだ文字が判別できないほどだ。だからコンタクトや眼鏡で矯正しないと読書なんてまずもって不可能なのだけれど、その上さらに老眼が進行したら、いつか、何も見えなくなってしまうのではないかと心配だ。
本が読めない。仕事ができない。それは困る。
「本が読めなくなった」
つらいことだが、それならまだいい。
「本を読みたいと思わなくなった」
そのときが来るのが、ひどく怖い。つらい。
ただ周囲を見渡してみると、幸いなことに本を読んでいるご老人はたくさんいる。むしろ読書量が多いのは若い人よりも高齢者のほうだ。どうやらまったく読めなくなるということではないらしい。今はそれが救いである。『カラー図解 はじめての老眼』そんな本があったら買ってしまいそうだ。本文がものすごく小さい文字で組まれていたらどうしよう。
■

BOOK INFORMATION
「本とともにある、なにげない日常」を、ちょっとしたユーモアで切り取る、本にまつわる脱力エッセイ『ちょっと本屋に行ってくる。NEW EDITION』11月25日発売。>>詳しくはこちら
藤田雅史『ちょっと本屋に行ってくる。NEW EDITION』
issuance刊/定価1,760円(税込)