Essay
脱稿と本
#85|文・藤田雅史
冒頭からいきなりの宣伝で恐縮ですが、『ちょっと本屋に行ってくる。』の続巻が刊行されることになりました。パチパチパチ。前巻と同じテンションの「本と本屋にまつわる脱力エッセイ」です。一冊目を気に入ってくださった方には、今回もきっと、楽しんでいただけるのではないかと思っています。ぜひ前巻とあわせて手に取っていただけると幸いです。
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で、本を出すには原稿を用意しなければいけないわけで、この春は年度明けからゴールデンウィークまで、ずっとその原稿にかかりきりだった。
「脱力エッセイ」といっても、本当に脱力し、ソファに寝そべって鼻くそをほじりながらてきとーに書いているわけではない。「あの程度の文章、ちょちょっといくらでも書けるでしょ」なんて思われたら心外だ。リラックスを心がけつつ、たとえ「あの程度の文章」であっても、書くときは本気モードで思いきり集中している。これでも人生の貴重な時間を費やし、胸にたぎる情熱を余すことなく注ぎながら書いているのである。
ところで他の人はどうなのか知らないけれど、集中して原稿に取り組む時間というのは、僕の場合、それが締め切り前だと特に、他のことが何もできなくなる。
「ごめん、父ちゃん忙しいから、ゴールデンウィークは全部仕事。遊び出かけるとか無理」家族にはそう告げ、取引先から新規の依頼を受けても、「すみません、大事な締め切り前なんで、それが終わってからこちらからご連絡します」と頭を下げ、とにかく手元の原稿以外は何も考えなくていいように、それだけに集中して生きる。本もほとんど読まなくなる。もちろん本屋にも行かない。原稿の出力紙とMacBookを抱え、家と事務所とスタバを何度も往復するだけの毎日だ。
ゴールデンウィーク明けの平日、ようやく脱稿した。新緑がまぶしい、清々しい季節である。「あー、終わったー」と思った途端、それまでいろんなことを我慢していた反動が、心地よい風とともに一気にやってくるのはご想像の通りだ。まずは本屋におもむき、ストレス解消とばかりに大量の本を買って帰った。脱稿直後のいつもの行動パターン。実にわかりやすい。
しかも今回はそればかりか、Amazonで『スラムダンク』まで買った。原稿の中にスラムダンクのことがちょっと出てくるので、校正しているときからずっと読みたくてしかたなく、脱稿したその日のうちに全巻(二十四冊)をポチッとしたのだ。完全版の新品を、それも定価で、何のためらいもなく買えたという事実が解放感の大きさを物語っている。嗚呼、「カートに入れる」をタップする右手親指の快感たるや!
その日以降、それまであと回しにしていた仕事を片付けたり、人に会ったり、仕事の依頼を受け直したり、それはそれで慌ただしく過ごしながら、毎日、意識的に「スラムダンクを読むための時間」を設けた。
午後三時から四時までの一時間。お茶とお菓子を用意して、スマホのアラームをかけ、靴下を脱ぎ、ソファにごろんと横になってスラムダンクを手に取る。カバーを外し、ページをめくる。桜木花道の成長を見守りながら、とうに結果を知っている試合内容にあらためてハラハラドキドキする。(三井、もっと正直になれよ)とか(山王工業になんて勝てるわけないだろ)とか、ばかみたいに素直に思ったりする。
ただマンガを読むだけ。ただページをめくるだけ。その毎日の一時間が、なんだか、最高だった。読書なんてこれまで何十年も、それこそ毎日のように繰り返してきたことだけれど、あらためて、(ああ、本をめくるってこんなに楽しいんだ……)そう思えた。夢中になった。
ちなみにスラムダンクでいちばん好きなのは、陵南戦、木暮公延のスリーポイントシュートが決まるシーンである。もう、断トツでこの場面だ。何度読んでも胸が詰まる。涙をこらえながら、思う。いつかこんなふうに、何度そのページをめくっても飽きない、読者に愛してもらえる、そんな文章を自分も書きたい。そう、本の中の情熱は、人の心の中にも情熱を生むのである。その連鎖反応は、本の持つ特別な力のひとつだ。脱稿後のからっぽの胸の中に、今また次の熱い何かが生まれようとしている。
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さて、『ちょっと本屋に行ってくる。2 ブック・タワーズ・メガシティ』、6月13日発売です。やけに長いタイトルになっちゃいましたが、どうぞよろしくお願いします。
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BOOK INFORMATION
「本とともにある、なにげない日常」を、ちょっとしたユーモアで切り取る、本にまつわる脱力エッセイ『ちょっと本屋に行ってくる』シリーズの最新刊!『ちょっと本屋に行ってくる。2 ブック・タワーズ・メガシティ』6月13日発売。>>詳しくはこちら
藤田雅史『ちょっと本屋に行ってくる。2 ブック・タワーズ・メガシティ』
issuance刊/定価1,870円(税込)