Essay
お坊さんと本
#97|文・藤田雅史
読書というのは、とても個人的な行為だ。誰のどんな本を読むか、どこでどんなふうに読むか、それらはすべて個人のプライバシーの範疇にあると考えている。
本屋で本を選ぶこともまた、至極個人的な行為である。どの売場でどの本を探そうが、どの本を手に取ろうが、そんなのは人それぞれの勝手だし、他人のそれを必要以上に気にするのは、あまり行儀のいいことではない。
『坐骨神経痛最高の治し方大全』を手に取る人は、本人あるいは家族、身のまわりの人が腰の痛みに悩まされているに違いなく、その人が本屋でその本を手に取るところをじろじろ見たり観察したりするのは、やはり無礼な行いだ。
ある日、本屋に行ったらお坊さんがいた。
平日の午前、開店してすぐの時間帯で、お客さんはまばらだった。年の頃は四十半ばほどだろうか、実用書コーナーに立つ長身のお坊さんは目立っていた。なぜその人がお坊さんだとわかったかといえば、青々とした坊主頭で、法衣をまとい、どこからどう見ても正真正銘のお坊さんだったからである。つい、じっと見てしまった。
「お坊さんも本屋に来るんだ」まずそう思った。
そりゃあ来るでしょう。お坊さんだって人間だもの。本屋くらい普通に利用するでしょうよ。普段は私服かもしれないけどさ、今日はたまたま、檀家さんのところにお経をあげに行く途中だからこういうライブ感のあるスタイリングでいらしただけで、そんなじろじろ見ちゃ悪いって。自分の中の自分が自分をたしなめる。それでも、僕は目を離せなかった。
お坊さんは「冠婚葬祭」の棚の前に立っていた。あんた、その道のプロでしょう。本、必要なの? と、それだけでまず大いに気になった。しかもそのお坊さんは、所作がちょっと不自然、というか、端的にいうと挙動不審だったのである。きょろきょろして落ち着かない、何度も同じ場所を行ったり来たりする、あきらかに周囲を気にしながら何かを探している、あるいは、何かを手に取るタイミングをはかっている、そんな感じだった。
僕は目当ての本を探しているふりをして、つい、そのお坊さんの動向を目で追ってしまった。挙動不審なのは僕も同じだが、本屋慣れしているという点では、お坊さんより一日の長がある。売場ではお坊さんよりも全然目立たない。
お坊さんは実用書コーナーをいったん離れた。雑誌の棚をぐるりとまわり、「芸能/サブカル」を横目で見ながら「写真集」に近づいていった。まさかその格好でアイドル写真やヌード写真集ということはあるまい。他人事ながらちょっとハラハラした。
お坊さんは「写真集」を通り過ぎ、「芸術/写真」を素通りして、また実用書コーナーに戻ってきた。「園芸」「ペット」「占い」のそばを通り、「料理全般」で歩く速さが少し落ちる。おいおい、まさか「肉料理」ということはないだろうな。そして「冠婚葬祭」にまた戻ってくる。いったい何を探しているんだ。気になる。
と、そのときだった。お坊さんは不意に立ち止まるや、腰を屈め、棚に手を伸ばした。大判の薄いムック本みたいなものを一冊抜き取ろうとしたら、同じ本がもう一冊くっついてきてしまったようで、慌ててそれを棚に戻す。そして大事なものを隠すように一冊、法衣の袖に抱えると、そのままレジに向かった。
こんなことしちゃいけない、と思った。思ったけれど、罰当たりなことに、僕はお坊さんが何を買うのか知りたくなった。知りたくてしょうがなかった。
お坊さんが棚に戻した本を手に取る。これだ。
『筆ペンきほんの練習帳』
なんだか見てはいけないものを見てしまった気がした。書名の横のキャッチコピーによれば、四週間で誰でも達筆になれるという。
本というのは極々、個人的なものである。他人のコンプレックスに勝手に触れてはならない。それがコンプレックスだと決めつけるのもよくない。レジに向かうお坊さんの背中に、ごめんなさいと懺悔して罪を悔い改めたくなった。あ、でもそれはお寺じゃなくて教会か。
懺悔の代わりに、祈る。どうかあのお坊さんの字が、あの本のおかげで美しくなりますように。達筆になりますように。それによって今以上に、檀家さんからの尊敬を大いに集めますように。南無。
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BOOK INFORMATION
「本とともにある、なにげない日常」を、ちょっとしたユーモアで切り取る、本にまつわる脱力エッセイ『ちょっと本屋に行ってくる』シリーズの最新刊!『ちょっと本屋に行ってくる。2 ブック・タワーズ・メガシティ』6月13日発売。>>詳しくはこちら
藤田雅史『ちょっと本屋に行ってくる。2 ブック・タワーズ・メガシティ』
issuance刊/定価1,870円(税込)
