Essay
冷凍と本
#24|文・藤田雅史
月に1度の連載がこの稿で24回を数える。ということは、はじまって丸2年になるということになる。2年前の今頃は、「近いうちに未知のウイルスで世界中が混乱に陥る」なんて想像もしなかった。そんなの、それこそ本や映画の中でしか起こらない、パニックものの世界だと思っていた。よくフィクションで描かれる「ウイルスに冒された世界」って、どんな結末を迎えるのだっけ…と考えて、ちょっと怖い。そのうち宇宙人の襲来も現実になるのではないかと心配だ。
さて、2年前の連載スタート時、最初に書いたのは、風呂で本を読むことについてだった。改めて書くが、お風呂で本を読むのが好きだ。入浴というのは、身体を洗うためではなく、身体を温めながらいい気分で読書に没頭するための行為である。
風呂読書歴が20年以上ともなれば、滅多に本を濡らすことはない。ただ、やはりときどき濡らす。「追いだき」ボタンを押そうと腕を伸ばしたときに滴が落ちたり、冬場に本を持つ手があまりに冷えるので、湯船で温めてからその指でページをめくったときなど、つい、あ、ちょっと濡らしちゃった、となる。でもその程度だ。
昔は何度か大きな失敗を経験している。湯船に本を落とすのは悲惨だ。ダイブした本を湯の中から救出するとき、当然湯に手を突っこむわけで、でもその手はその時点ですでに濡れているわけだから、本を救出したとしてもその救いの手の指先からどんどん本に水分が染みこんでいく、という不条理なことを体験することになる。その哀しみは、実際に罪を犯した者にしかわからない。
湯船のふたやタオルの上に打ち上げられた本の悲惨なことよ。平べったい直方体であったはずのそのフォルムは激しく波打ち、ページがくっついてめくれない。乾くの待っても、失敗した干物のごときむごい姿にもう読む気は失せる。捨てるに忍びないし、かといってもう古本屋に買い取ってもらえる状態でもない。もはや本の山のどこかにもぐりこませ、最初からなかったことにするしかない。ごめん。心の中で本に謝る度に、心に誓ってきた。もう二度と本を風呂に落とさない。こんな不憫な思いをさせるのは、この本が最後だと。
で、話は変わって、つい先日のこと。ネットのニュースサイトをだらだらと見ていて、ふと目に飛び込んできた記事があった。濡れた本を綺麗に復活させる方法。スクロールする指先が止まった。タップすると、それは、本を濡らしてダメにしてしまった人がその本を復活させるためにある方法を実践し、それをTwitterに投稿したら大変な数のいいねがついた、という記事だった。
早速、読んでみた。感動した。びしょびしょに濡れた悲惨なコミック本。それが、数枚の画像を経て、最後の画像では綺麗に甦っていた。え、これ本を買い直したのでは?と疑うくらいに、美しく復活を遂げていた。記事の解説によると、「水分を含んだ原料を凍結することで水分を除去する『フリーズドライ』に近い方法」だそうだ。濡れたまま、本を冷凍させるらしい。すると、ページの反りが解消されるだけでなく、ページをめくるときに紙がくっつくようなこともないという。まじか。人間の知恵ってすごい。
そして思った。本を風呂に落としたい。さっきと言っていることが180度違うが、一刻も早く、本を風呂に落としたい。ぐっしょり濡らして、冷凍して、この方法で甦らせてみたくてしょうがない。
でも、「本」に対する後ろめたさがある。本を故意に濡らすなど、本に対する冒涜である。尊厳を傷つける行為である。大切にしている本に、そんなむごたらしい仕打ちはできない。だったら、どうでもいい本やもう読まない本でやってみりゃいいじゃん、と言われそうだが、それでは甦ったときの感動が薄いのは目に見えている。どうせなら、「元に戻ってよかった!」とドラマチックに思いたい。復活を祝福したい。ああ、どの本を湯に沈めようか。なんだこの空しい苦悩は。
ちなみに、その記事(とTwitter)で紹介されていた方法は、ざっと説明するとこうだ。
(2)袋の口を開けたまま本を立てた状態で冷凍庫に垂直に入れる。
(3)24時間以上、本を凍らせる。
(4)冷凍庫から取り出した本を、平たい重いものに挟んで自然乾燥させる。以上。
これで濡れた本が綺麗に甦るらしい。検索してみると、ほぼ同じやり方がたくさんヒットした。知らなかった。本濡らし業界ではメジャーな方法だったのか。
さて、どの本でチャレンジするか。後ろめたさを感じずに溺死させることができて、かつ復活を祝福できる本は何か。タイトルだけで真っ先に思いついたのは川上弘美の「溺レる」だが、芥川賞作家の作品を湯に沈めるのはさすがにできない。今の第一候補は「2020中央競馬全重賞データバイブル」である。ああ、葛藤。
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