Essay
真夜中の食欲と本
#32|文・藤田雅史
枕元に二冊の本がある。柚木麻子の小説『BUTTER』(新潮文庫)と、JAL機内誌のエッセイをまとめた浅田次郎の新刊『見果てぬ花』(小学館)。
枕元に、と書いたのは、いま、少し体調を崩してベッドで横になっているからだ。年の瀬に押しこんだ仕事をなんとか片付け、クリスマスの暴飲暴食を経て、ふっと気を抜いた途端に伏せった。自分で言うのもなんだけど、実にわかりやすい身体だ。
で、一日中横になっていると真っ昼間から寝てしまうわけで、昼間に寝ると今度は夜眠れなくなるわけで、夜眠れないと甚だ退屈なわけで、こうして丑三つ時を過ぎて買い置きしてあった二冊の本を読んでいる。そして困っている。どちらも食べ物がたくさん出てきて、その描写が実に美味しそうなのだ。食欲がないからと飯椀に汁物だけの質素な夕飯で深夜を迎えたこの空っぽの胃袋にとって、それは刺激が強すぎる。
『見果てぬ花』のページをめくると、しょっぱなからカレーが登場する。テンプラ、北京ダックときて、ハンバーガーとステーキが出てきたところでお腹が鳴った。これ以上読むと何か口に入れずにはいられないと思ったので、本を閉じた。
かわりに『BUTTER』の読みかけのページを開くと、今度は登場人物が、あろうことかいきなり塩バターラーメンについて語り出した。この小説を読んだことのある方ならご存じだと思うのだけれど、このラーメンのエピソードのところは物語の前半部分の中でもかなり印象が強く、しかも主人公が深夜の新宿で塩バターラーメンを味わう場面がかなり丹念に描かれている。
本は想像力で読むものである。しかし空腹時の真夜中のラーメンほど、想像力を働かせてはいけないものはない。だめだ、寝よう。本を閉じて明かりを消し、耳まで布団をかぶるが、いっこうに眠れない。寝よう寝ようと思えば思うほど、忘れよう忘れようと思えば思うほどに忘れられないかつての恋人の面影のように、ラーメン屋の匂いが漂ってくる。想像力が憎らしい。布団の中の暗闇に、白い湯気がもうもうとたちこめる。熱いスープが全身を包む。バターが黄金色に溶けてシーツを濡らす。胡麻と青ネギの香り。チャーシューの脂の舌触り。そして口の中いっぱいにちぢれ麺が……
ぐわあああ。叫びだして跳ね起きたい。食べたい。食べたいぞ塩バターラーメン。
でも我が家にラーメンのストックはない。体調がよければコンビニまでカップ麺を買いに走りたいところだけれど、さすがにそんな元気はない。仕方ないからラーメンはあきらめる。でもかわりに、何でもいいからそばに何か食べ物はないか、お菓子でも蜜柑でもいいから……と明かりをつけると、無念、そこにあったのは葛根湯だけだった。
本は想像力で読むものである。だから、夜中に本を読んでいて、美味しい食べ物が出てくると本当に困る。なぜだろう、読む「美味しさ」は、写真で見る美味しさよりも、うんとうんと強く食欲を刺激する。哀しいのは、空腹だけは想像力では満たせないことだ。
ああ、お腹減いた。明日のお昼はラーメンにしよう。いや、カツカレーも食べたい。そんなことを考えているうちに、本を開く前に比べて、少し体調が上向いた気がする。
■