Essay
運転と本
#34|文・藤田雅史
小学生のとき、学校の図書館で借りた本を読みながら帰宅したことがあった。コナン・ドイル。カバーが外された青い上製本の、シャーロック・ホームズのシリーズだったと記憶している。
「感心ねえ、でも危ないよ」
近所の知らないおばさんに声をかけられた。はたして本を読むことが感心なことなのかどうかは疑問だったけれど、「危ないよ」は、本当にその通りだと思った。事実、電柱にぶつかった。
人はいろんなところで本を読む。自宅で、通勤電車で、カフェで、公園で、漫画喫茶で、病院の待合室で。時間と場所があれば、本はいつでもどこでも読める。サッカーの中田英寿が現役時代、試合前のロッカールームで本を読んでいたのは有名な話だし、この連載の最初には、温泉の露天風呂で本を読む人について書いた。いや、なにもそんなところで本を読まなくても、という場所でも、人は本を読む。
あるとき、高速道路を運転していて、追い抜きざまに左車線の車にチラッと視線をやって、思わず二度見した。
運転手が本を読んでいた。
通り過ぎるときの一、二秒ですべてを記憶することは不可能だけれど、確かに、会社員らしき中年の男が運転席で本を読んでいた。ハンドルの1時と11時のあたりを両手で握りながら上手に文庫だか新書だかの本を広げ、視線は明らかにフロントガラスではなく、斜め下方に落ちていた。
露天風呂に本を持ち込んで長湯しているひとを見たとき、「え、それ、やっていいんだ」と思ったのと同じように、思った。え、それ、やっていいんだ。
もちろんいいわけがない。
でも。
バックミラーで遠ざかるその男の運転する営業車であろう白い車を何度も見返しながら、しばし考えた。高速道路には赤信号がなく、歩行者もいない。左車線を走り続ければ、後ろの車は勝手に追い抜いていってくれる。カーブにさえ気をつければ、アクセルを踏むだけであとはやることが何もない。なるほど、高速道路だからこそ、これができてしまえるのだ。もし完全に自動運転の時代になったら、「最もリスクの低い走行中の読書」は、高速道路ということになるかもしれない。
とはいえ、危険は危険だ。高速道路は常に真っ直ぐではない。カーブを曲がりきれなかったら。前の車が急にブレーキをかけたら。低速のトラックが現れたら。すべてのシチュエーションが即、大事故につながる。「ごっめーん、ちょっと本に夢中でさー」では通用しないだろう。当然、会社員は会社をクビになる。もちろん生きていればの話だ。
そこまでして本を読みたいだろうか。考えついでに、考えてみた。そんなリスクを冒してまで読まずにはいられない本とは何なのか。
ジャック・ケルアック『オン・ザ・ロード』。
読んだことはないが、さぞかし臨場感のある読書体験になるに違いない。
『すぐに役立つ入門図解 交通事故の過失割合ケース別288』。
いや、10:0であんたが悪いよ。
正直にいえば、本屋で本を買って帰る途中、赤信号で止まったときや渋滞でまったく動かないとき、手を伸ばしてページを開いたことはある。買ったばかりの競馬新聞の馬柱が気になって確認したこともある。地図を片手に運転することだってある。
でもさすがに車が前に進めば、「読む」なんてそんな愚は怖くて犯せない。本のわずか1行でいい、20文字から30文字くらいだろうか、それを時速50キロで走りながら読むことを想像してほしい(やってみてほしいと言いたいが、言えない)。衝突の恐怖で、まったく「読む」なんてできないはずだ。でも僕が見たその男は、悠然と、平然と、泰然と、時速100キロのスピードで鉄の塊を疾走させながら読書に耽っていた。まるでコーヒー1杯で2時間も居座るブックカフェの常連客のような、何食わぬ顔で。ちゃんと文章が頭に入るのだろうか。入っているから、読書するのだろう。いや本当に、何を読んでいたんだろうあの人は。
いちおうネットで調べてみると、本を読みながらの運転は、スマホのながら運転のように明文化されているわけではないけれど、明らかな危険運転であり減点と反則金の対象だ。他の罰則を科せられる可能性もある。
人はいろんなところで本を読む。
一歩おもてに出たら、十分に注意しないといけない。いつ誰がどこで本を読んでいるかわからない。
■