Essay
整列と本
#35|文・藤田雅史
書庫づくりについて何度か書いた。事務所に使っている建物の別のフロアの部屋を、本棚に囲まれた部屋にリノベしている、という話だ。春になり、ようやく完成に近づいている。
嬉しい。めちゃくちゃ嬉しい。嬉しさ余ってネットでソファを買った。勢いが止まらずにオットマンまで買い足した。ふかふかのソファに身を沈めて、足を伸ばし、お茶でも啜りながら好きな本を好きなときに好きなだけ読める環境をようやく手に入れる(予定だ)。先日、ソファの搬入の下見に来た配送会社の人から、「うーん、ドアの幅がちょっと微妙ですね……」と搬入経路の難点を指摘されたが、まあ、なんとかなるだろう。聞かなかったことにした。
来月の原稿がアップされる頃には、書庫は完成している。現状、すでに四方の壁のうちの三面、本棚の側板にあたる板が天井から床までびしっと等間隔に固定されていて、あとは金物の取り付けと棚板の設置を残すのみだ。もう一度書こう。嬉しい。しかし、ただ本棚ができただけでは書庫とは呼べない。そこに本がなければ、それは本棚ではなくただの棚である。
自宅と実家から本を運び込むために、レンタカー屋でハイエースを予約した。書庫は三階なので、とりあえず一階の事務所にすべての本を一旦運び、それから時間をかけて整理ながら三階の本棚を少しずつ本棚らしくしていこうという計画だ。心配なのはハイエースの運転だが、まあ、こちらもなんとかなるだろう。
どんなふうに本を並べようかなあ、と考えるのは楽しい。悩ましい。それは例えば、巨人ファンが自分だけのベストナインを考えるときの悩ましさと同じだ。「菅野も上原もいいけど、ピッチャーはやっぱ斎藤雅樹。キャッチャーは慎之助だよね。とりあえずセカンド篠塚でショートは坂本。サードはなあ、長嶋なんだろうけど、やっぱ俺的には原辰徳なんだよなあ。いや、原はファーストに回して……あ、でもそこは王さん……よし、80年代以降しばりにしよう。サード原でファーストは……落合は外様だしなあ、でもそうすると駒田か中畑……。落合がありならスンちゃんかガッツもいいなあ。ここはちょっと保留にしといて、外野は松井と由伸決定であとレフトは……」という、興味のない人からは、ここまで何行無駄にする気やどうでもええわそんなん、と関西弁で言われるやつだ。どうでもいいからどうにでもできる。だから楽しいのだ。「好き」は、常に個人的なものです。
で、去年の夏からずっと考えているのだけれど、その本棚の並べ方の方針がまだ決まらない。ちょっと聞いてください。
候補①:一般的な書店を真似て並べる。
「普通の本屋さんならどう並べるか」で並び方を決める。実用書、専門書、文芸、雑誌などに分類し、さらに細かくジャンル分けして五十音順に並べる。文庫は文庫。新書は新書。漫画は漫画。どうせなら、新刊や新しく買った本は入り口のそばに。本屋さんだったらここにこう並んでいるな、と想像するのはかんたんだ。
候補②:個人的嗜好によって1軍、2軍、3軍にカテゴリー分けする。
「かなり好きな本」「まあまあ好きな本」「それ以外の本」と分けて、目立つ、取りやすい、湿気がなく風通しがいい、そういった条件のいい場所から順に並べる。こうすると、空腹時に焼肉と寿司とラーメンがひとつにかたまったテーブルのようなドリームランドを作れる。さっきの野球の例えでいえば、オールスターチームだ。でも、これはたぶん選別に時間がかかる。それに、「この本を1軍にするなら、この本も1軍にしないと角が立ちますよね」とか、「この本とこの本を引き離すというのは道義的にどうかと思いますよ」とか、よくわからない忖度をしなきゃいけなくなる。「まじごめん!」と3軍の本に謝ったり、「お前、もうちょっと頑張れよ」と2軍の本を叱咤激励したりしそうだ。何やってんだか。
候補③:素直にジャンル別に並べる。
書店の並べ方に近いが、むしろ図書館に近い感覚で、ひたすら分類で区別し、整理していく。論理的秩序の下に、大分別→中分別→小分別と、どんどん細かく分けていく。「芸術」→「絵画」→「西洋」→「印象派」みたいに。実用書や専門書がいちばん探しやすいやり方だ。これはたいして何も考えずに分けられるので、作業が早そうだが、愛着というか好みの濃淡で差をつけられないので、ちょっとつまらない気もする。
候補④:ひたすら著者別に並べる。
本は、「どんな本が好きか」ということよりも、「誰の書いた本が好きか」ということの方がやはり重視されるものだ。だからジャンルを無視して、著者別あいうえお順にしちゃう、というのもありだと思う。ただこれをやるとたぶん見た目がごちゃごちゃになる。そして共著とか、複数の作家のアンソロジーとか、どこに置くかかなり迷う。共著の本など、胸が引き裂かれる思いがする。
候補⑤:色別に並べる。
いっそのこと発想を変えて、本の背の色だけで分けてしまうというのも面白い。白、黒、赤、青、とにかくカバーの色で分ける。しかし何も考えないでそれをやると、レインボーな棚になってがっかりするので、デザイン的な配色センスが問われる。この作業のためだけに配色の本を買っちゃいそうな気もする。それに思いきり探しづらくて、ちょっと現実的ではない。ただ、カバーを外した文庫本だけの淡褐色の棚は、美しいと思う。
候補⑥:背の順。
小学校か。
とまあ、いろいろ考えてはみるのだけれど、答えが見つからない。やっぱり本棚が完成してみないと、本を並べ始めてみないと決められない。
このあいだ、とある中古書店に久しぶりに行った。店に入った瞬間、あれ?と思った。棚の構成が変わった感じがした。でもよく見ると棚の位置は変わらないし、それぞれの棚も前と同じものが並んでいた。何だろうこの妙な感じ、と店内を歩いてみて、気がついた。違和感の正体は、入り口から見える場所にある新書コーナーだった。
新書はどの書店でも通常、出版社別、レーベル別に並んでいる。岩波新書、中公新書、講談社現代新書、ちくまプリマー新書、みたいに。レーベル毎にカバーのデザインが統一されているから同じ背表紙がずらっと並び、棚の見た目はきれいに色分けされる。本を探すとき、メジャーなものならその色でまず新書シリーズを識別し、あとはあいうえお順に著者名をたどるだけで目当ての本はすぐ見つかる。
ところがその店の新書コーナーの棚は、なぜかレーベル別ではなく、ジャンル別にリニューアルされていた。「政治」「歴史」「スポーツ」「健康」みたいな感じで、「どこの新書シリーズか」ではなく「何についての本か」が優先されていた。
ものすごく探しにくかった。新書コーナーの最大の特徴と言っていい色彩的な統一感が失われ、ひどくごちゃごちゃして見えた。探したい本があったけれど、なんだか週末に訪れるショッピングモールの激混みのフードコートで知り合いを探すみたいでうんざりし、断念した。
お洒落系の本屋さんが、「料理」とか「デザイン」とか「建築」とか、ジャンルごとに本を並べるのはよく見かける。それはそれでセレクトショップみたいで個性があって楽しいと思う。お洒落は個性に拠ってこそだし、意外な発見、再発見があって面白い。でも、普通の中古書店が、新書コーナーだけそんなふうにお洒落風にするのはどうだろう。やめてくれ、と切に思った。探しづらい。例えば、「明治以降の近代日本政治について語ったお笑い芸人の本」があったとしたら、それは政治の棚か、歴史の棚か。それとも芸能人の棚か。
このお店の新書コーナーのリニューアルは、きっと不評だと思う。そのうちしれっとレーベル別に戻すんじゃないかと僕は踏んでいる。店内を歩きながら、「他山の石としたい」とコメントしたくなった。
(P.S. あとこれはどうでもいい話だけれど、今この原稿を読み直したら、「芸能人の棚か」のところが「芸能人の田中」と誤変換されていて、ちょっと面白かった。)
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