Essay
ゲラと本
#38|文・藤田雅史
店内に一人か二人しかお客さんの姿が見えない、早朝の静かなスターバックスコーヒーで、マチ付きの封筒からおもむろに分厚い紙の束を取り出す。どさ。とんとん。カウンターテーブルの上で端をきれいに整え、なでるように軽く一枚目の表面に右手をすべらせてから、その手で赤のゲルインキボールペンを握る。一枚目の紙をめくる。
ゲラ。
本を印刷する前に、印刷所から出てくる校正用の出力紙、いわゆる「ゲラ刷り」のことだ。四隅に「トンボ」と呼ばれる(この位置で裁断するよという)線が引かれ、実際に印刷・製本するときとまったく同じ書体、レイアウトで文章が流し込まれた見開きのページが、全ページ印刷されている。
僕は原稿を書くときはいつもMacを使っていて、書いている途中でプリントアウトして読みたい場合は、都度、安いコピー用紙に市販のインクジェットプリンタで出力している。でもそれとゲラは、同じ「出力紙」でも、クオリティがまったく違う。ゲラは紙がいい。そして一文字一文字がくっきり鮮やかだ。市販のプリンタと違って、明朝体の文字の細い部分が掠れたり潰れたりといったこともない。まさに、これがこのまま本になります、という感じがする。
ゲラが好きな作家さんは多いと思う。自分の書いたもの(打ち込んだもの)が、目の前に、活字として美しく印字されているのを見るのは気持ちがいい。すっと背筋が伸びる。文字がくっきりはっきりしている分、文章を誤魔化してもすぐにバレる感じがして気が引き締まる。目の前の作品を生み出した作者であると同時に、最初の読者となって、原稿に向き合う。ゲラ校正は、ただの原稿チェックではない。けっこう神聖な儀式なのだ。「嫁入りの化粧を施す」と表現した作家さんもいた。
僕の場合、最初のページをめくったら、もうその時点でスタバに長居することは確定だ。流れている音楽に合わせて細かく貧乏揺すりをしながら、一心不乱に文章をチェックしていく。気になるところ、あとで確認が必要なところにさっと赤ペンを走らせ、明らかなケアレスミスには思わず顔をしかめる。「おっと、ここは『調整』となっているけれど、いや、『調節』が正しい。」例えばそう気づいたら、「整」の文字を丸く囲み、その横に「節」と楷書で書く。このページに修正箇所がある、とはっきりわかるように、紙の上端にどぎつい蛍光イエローの付箋を貼る。
ここでミスをすると、ミスがそのまま作品となる。だから気が抜けない。そもそも普段から僕の文章チェックはかなり「ザル」なので、いつも以上に神経を研ぎ澄ませなければいけない。ゲラ校正は、寝不足の日とか、夫婦喧嘩をした日とか、巨人が5連敗中とか、GⅠレースの馬券を買わなきゃいけない日とか、ハナ差で万馬券を取り逃がした日とか、そういう精神的に不安定なときには絶対やりたくない。できれば心穏やかな日に、頭がスッキリしている朝早くからとりかかりたい。スマホをサイレントモードにして、いかなるメールも電話も遮断して。
自宅や事務所でやるよりも、スタバの方がいいのは、そこが自分ひとりの内側の世界と「社会」と呼ばれる外側の世界の、ちょうど中間にある感じがして、ゲラを読むという、「頭の中で生まれたもの」と「不特定多数の誰かに読まれるもの」のバランスを整える行為にふさわしい場所のような気がするからだ。ほうじ茶ストレート(トールサイズ)374円で、本一冊まるごとゲラ校正のために場所を借りるなんて、スタバにはなんだか申し訳ないのだけれど、事務所からいちばん近い、清潔で落ち着けて集中できて駐車料金を気にせずに自由に使えるテーブルのあるカフェ、がそのスタバだから仕方がない。
逆にこの作業が終われば、もうあとは野となれ山となれだ。本になってしまえば直したくても直せない。あきらめるしかない。ゲラは何度も読み返すけれど、本になったら一回読んでおしまい、という人はけっこう多いんじゃないかと思う。本になってから一度も読まない、という人もいるはずだ。その気持ちはよくわかる。ゲラ校正が終わった時点で、創作という行為は完全に終わるのだ。本を読み返すときはただの読者だ。できれば時間が経って「作り手」の感覚を完全に失ってから読んだ方が、精神衛生上よい。
ちなみに、「ゲラ」というのは、「gallery」という単語からきているらしい。印刷所の活字を組んだ版を入れる箱が、ガレー船という人力で漕いで進む船に水夫がずらりと並んでいる様子と似ていることから、その箱が「ゲラ」と呼ばれるようになり、その仮組みで刷ったものを「ゲラ刷り」というようになったのだそうだ。ネットでちゃちゃっと検索して得た知識だから、本当かどうかは知らない。僕みたいに朝早くから取りかかる人が多くて、「get up!」からきているのかな、なんて思っていたら、まったく違っていた。
252ページのゲラを読み終えるのに、2時間と少しかかった。374円で2時間以上、貧乏揺すりしながら居座るのは、正直、心苦しい。荷物をこそこそまとめて、空いたマグカップを返却台にさっと戻し、そーっと店を出ようとしたら、店員さんが「ありがとうございましたー!」と背中に声をかけてくれた。振り向くと、いつもと同じ、気持ちのよい笑顔だった。軽く会釈を返し、「ああ、この人に読んで欲しいな」と思いながら、店を出た。
さて。このときにゲラ校正をしていた原稿が、7月11日に新刊として発売されます。16本の短篇を収めた、サッカーのサポーターの物語です。サッカーが好きな人はもちろん、そうじゃない人にも楽しんでもらえる短篇集に仕上がっていると思います。ぜひAmazonで「サムシングオレンジ」と検索してください。
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