Essay
匂いと本
#41|文・藤田雅史
若いときから、ずっと古本が苦手だった。
どうしても手に入らない本であれば古本を探すより仕方なく、よほどビビッときたレアなものや喫緊で必要な仕事の資料であれば古本でも買うけれど、そういう条件がつかない限り、本はできれば新品で買いたいと思って生きてきた。
本は好きでも、気に入りの作家の初版本や希少本を収集するほどのマニアックな趣味はない。そもそもアカデミズムとも無縁である。例えば普通の書店と古本屋が隣接していて、気になっている本が書店に1,500円、古本屋に800円で売られていたとする。同じ本だ。誰かが一度読んだか読んでいないかだけの違い。それでも迷うことなく、僕は1,500円の本を買う。お金にあまり余裕のない学生のときでもそうだった。時給700円のアルバイトをしていても、その700円の差額がもったいないとは思わなかった。だから東京に住んでたときも、神田の古書街にはほとんど足を向けなかった。
古本には「状態」というものがある。カバーがすり切れているとか、ページの端が焼けているとか、明らかに新品とは違う見た目で売られている。でも実は、そのことはあまり関係ない。そもそも自分の部屋にある本からして、カバーがなかったり、日に焼けていたり、ページの端が折られていたりするのであって、よほど、例えばラーメン屋で読まれるジャンプのバックナンバーくらいまで状態が悪化していない限り、「誰が読んだかわからない本なんて汚くて嫌」とは思わない。潔癖症というわけではない。
古本以前に、古本屋が苦手だったのだ。
棚という棚に大量の古本を押し込んだ古本屋の空間は、空気が独特だ。あの匂い。紙のせいなのか、インクのせいなのか、あるいはそれらが人の皮膚や汗や埃と混じり合うことで生じる何かしらの化学反応のせいなのか、古本屋は特徴的な匂いがする。埃っぽいような、かびくさいような、雨っぽいような、それでいて少し甘いあの匂いが、どうも好きになれない。
だから古本屋は好きじゃない。はずだった。
ところが最近、よく行く。街に出て少しでも空き時間があると、ふらっと古本屋に立ち寄り、棚を見上げながらぶらぶらしている。
古本屋の雑多さが面白い。普通の書店での買い物を、伊勢丹とかルミネでの買い物に例えるとするなら、古本屋は、アメ横とかお祭りの屋台をひまつぶしに歩く感覚に近い。パルコではなく、中野ブロードウェー、的な。
安さにも惹かれる。安いというただそれだけのことで、一冊の本を買うハードルは極端に下がる。100円台、200円台の廉価本のコーナーでは、欲しいものを見つけたら何でも買っていいことにしている。「んー、これ読まないかも」と思っても、まあ100円なら、と小脇に抱える。「いつか読めばいいや」そう思うことができれば、買える。30分ほど店の中を物色して、そろそろ持つのが重くなったなあ、とレジに持っていっても、だいたい1,000円台、高くても2,000円台で済む。安い。今年、本棚を新しく設えたのも、もちろん、「買っていい」の背中を押している。
古本の面白さのひとつには、出会いもある。今年の冬に、仕事の取材のために訪れた街で、約束の時間の前にだいぶ余裕があったので通りをぶらぶらしていたら、よさげな古本屋を見つけた。映画や演劇、デザインなど関する本をたくさん取り扱っていて、掘り出し物に出会える予感がした。約束の時間まで店内を物色した後、仕事が終わってからもう一度立ち寄り、面白そうなシナリオ本と、90年代の好きな映画のパンフレットを買い込んだ。またこの街に来たら、ここに来よう。その店を見つけただけで、街が好きになった。
出会いの中には、再会も含まれる。
先日、ついに古本屋の棚に自分の名前を見つけた。二年前に出した本だ。古本屋に自分の著作が売られていることについて、快く思わない作家もいるらしい。でも僕の場合、自分の作品が誰かにとって不必要なものになった、誰かにとっては簡単に手放せる程度のものだった、と悲しい気持ちになるかと思いきや、むしろちょっと感動した。こういう二次的な流通でも、自分の書いたものが世の中にちゃんと存在している、ということの方が嬉しい。僕の生活圏のすべての古本屋にあったらさすがに傷つくけれど、ひとつの店舗だけなら、逆になんだか誇らしい。何よりそこが廉価コーナーではなかったことが、僕の自尊心を満足させた。作者の心は恋する乙女のように複雑である。なんだか前の職場の同僚に会う、みたいな妙な感覚にもなった。君、今ここにもいるんだね、と話しかけたくなるような。
それにしても、この一年、いや一年半くらいで、古本屋への抵抗がなくなったのはどうしてだろう。しばし考えてみる。以前よりも本を必要としているのだろうか。否。前よりも本が好きになったのだろうか。否。これまでと本に対する態度は何も変わらない。じゃあ何でだ? あの古本屋独特の匂いが気にならなくなったんだよなあ、と思って、はたと気づいた。
あ、なんだ、マスクだ。
コロナ禍、どこへ行くにもマスクをしなければならず、それは古本屋も例外ではない。マスクをすると口だけでなく鼻も覆う。鼻腔が嗅ぎとるあの独特の匂いが、マスクのせいで本来のそれよりも少し薄らいでいるのだ。
早くマスクのいらない世界に戻ってくれ!と思っていたのに、マスクにこんな意外な効能があったとは。せっかくだからアフターコロナについて書かれた本を、古本で買おう。読まないかもしれないけど、100円なら。
■