Essay
体調不良と本
#42|文・藤田雅史
先月、体調を崩した。39度台後半の高熱が続くので、解熱剤を飲み、たっぷり汗をかき、それによって体温は一時的に下がるものの、でもまた何度もぶり返す。とても困った。高熱は体力を著しく消耗する。あまりにたちが悪いので病院に行ったら、急性扁桃腺炎、と診断されて点滴通院となった。
身体はきつかったけれど、熱のわりに頭はしっかりしていた。こういうときはマンガでも読もう、と思った。体調が悪いときは、マンガがいちばんだ。
ところが未読のマンガが自宅になく、さすがに買いに行く元気もない。本屋に行けたとしても、今は体調のよろしくない人間がお店に入ってはいけない雰囲気だ。店の入り口で、ピッ、とやられて「36.8℃」と表示されても、(でも昨日はね、39.7℃だったんですよ。たぶん今夜もまた……)と心の中で思うと、罪悪感と後ろめたさでとても店内に足を踏み入れる気になれない。ネットで注文しても、さすがに今日の今日では届かない。仕方ないので、以前古本屋で買ったまま枕元に放置しいてた、読みやすそうな本に手を伸ばした。中公文庫から出ている石ノ森章太郎の『章説 トキワ荘の青春』。マンガではないが、マンガ家によるマンガ家たちとの暮らしを綴る、自伝的エッセイだ。
日がな一日、布団で横になっているだけだと、時間がたっぷりで、あっというまに読み終わった。ついでに、市川準監督の映画『トキワ荘の青春』もAmazon Videoでレンタルして見た。本木雅弘のテラさん、よかった。
トキワ荘の物語には思い入れがある。小学3年生のとき、藤子不二雄の『まんが道』に出会った。夢中になって読んだ。読みまくった。そして「将来マンガ家になりたい」と本気で思った。マンガ用の原稿用紙やGペンやインク、ホワイト、スクリーントーン、さらには雲形定規まで買って、下手くそなオリジナルのマンガをたくさん書いた。大人向けの「マンガの描き方」通信講座に申し込んだりもした。でも子どもの夢というのは、はかない。高学年になって部活をはじめて、毎日放課後グラウンドでボールを蹴るようになると、マンガ家になる夢はいつのまにか立ち消えとなった。
6年生に上がって少しした頃、水疱瘡にかかり、それからしばらく、体調がいまひとつの時期が続いた。それまでは、風邪をひいて学校を休むことなどめったになく、皆勤の年もあったくらいなのに、何かの糸が切れてしまったみたいに、少しどこか調子が悪いだけで学校を休んで、一日中誰もいない家で寝ている、ということが続いた。学校も部活もまとめて休んで家にいていい、ということを一度覚えてしまって、それが癖になってしまったような、そんな時期だった。気持ちもちょっと弱っていたと思う。
そんな僕を可哀想に思ったのか、熱を出して寝込んでいたある日、頼んだわけでもないのに、母が仕事帰りに、マンガをどっさりと買ってきてくれたことがあった。
『タッチ』と『あしたのジョー』。それも分厚い愛蔵版で、6冊ずつくらい。藤子不二雄を愛する当時の僕にとって、恋愛野球マンガもスポーツ根性マンガもそれほど惹かれるものではなかったけれど、せっかくこんなに買ってきてくれたんだから、と布団の中で読みはじめた。
愛蔵版は重かった。持っているだけで腕が疲れた。でも、めちゃくちゃ面白かった。あまりの面白さに一気に読んだ。
翌日も学校を休んで家で寝ていたのは、風邪が治らなかったからというより、寝込んでいればつづきを買ってきてくれると思ったからだ。
体調が悪いとき、マンガはちょうどいい。つまらなければ寝てしまえばいいし、面白ければ、つらさや苦しさを忘れる。布団の中でじっと動かずに夢中になっていれば、そのあいだ、ずっと身体を休めることができる。
いよいよ『タッチ』全巻を読破したとき、不思議なことに、身体は軽快になり、気持ちはすっかり元気を取り戻していた。病は気から、というのなら、僕にとって、マンガはちょっとした風邪薬である。
ところで、実家に全巻あったはずの『まんが道』は、いつのまにかどこかに消えてしまった。次に体調を崩したときのために、全巻セットで買い揃えておこうと思う。これは医療費である。健康保険がきけばいいのに。
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