Essay
ネットのない時代と本
#44|文・藤田雅史
ネットで本を買うことが増えた。ネットというか、アマゾンだ。レビューや星の数はそれほど参考にはしない。それを確かめて買うことももちろんあるけれど、アマゾンを利用するいちばんの理由はそこではない。本を探せることの便利さが、素晴らしいと思う。
アマゾンのデータベースはすごい。キーワードを入力すれば、その単語やジャンルに関連する本を一瞬で探して、リストにして見せてくれる。よほど古い本でなければ表紙の画像も見られるし、内容も手短に教えてもらえる。注文した場合に最短でいつ届くかも教えてくれるし、それがアマゾンの在庫品ならば翌日に届けてくれる。なんと便利な。
本屋に行って、(あれ? もっといい本ないかなー)と思ったとき、その場でスマホを取り出してアマゾンで検索する、ということもある。売場に在庫があればその本屋で買うが、なければ、ちょっとうしろめたいけれど、こっそり柱の陰に隠れてアマゾンでポチッと注文することもある。改めて書くけれどすごい便利さだ。今の時代、ネットを使って買えないものなんてあるのだろうか。
二十歳前後の若い世代の人たちは、物心ついたときにはもうネット通販が当たり前のように身近にあった。ニュースはテレビや新聞で見聞きするものではなく、スマホで知るものだ。欲しいものは何でもネットで買える。でも、そうではない時代が、ついこのあいだまであった。欲しい本がある。今すぐ読みたい、手に入れたい。そんなとき、本は本屋でしか探せなかったし、買えなかった。目当てのものが見つかるまで町を歩いて本屋を何軒もハシゴするしかなかった。
本屋に在庫がない場合、注文すればいいというのは知っている。でも注文してから本屋に届いて、店員さんから「届きましたよ、いつでも取りに来てください」という電話をもらうまで、かつては一週間とか二週間とか、けっこうな時間がかかっていた。待てない。だって今すぐ読みたい。これを読まなきゃ先に進めない。そういうときがある。そういうときはやっぱり、探し歩くしかない。
まず、ここならあるだろう、という比較的大きなA書店に行く。
ない。
次にそのA書店の近くの、でもこっちにはないと思うんだよなあ、というB書房に行く。ないと思うけど、あるといいなあ、と期待して。
やっぱりない。
今度は、少し離れた場所にある大きめのC社にバスや電車で移動する。移動しながら、もうすでにそこにはない予感がしている。いやでも意外とあるかも、前もA書店にない本がC社にあったし、と前向きに考え直す。
で、やっぱりない。
仕方ないので四軒目のD堂に向かう。歩くには少し遠い。でもここまでの交通費を計算して、これ以上バスに乗ったら本代より高くつくことに気づき、歩く。どんなに歩き疲れても、本が見つかれば満足だ。
でも、やっぱりない。
半日歩き回って、ウォーキングをしただけ。その疲労感たるや絶望感たるや。四軒目となると思考力は鈍り、あきらめもつく。でもこれだけ歩いたのだから何か収穫が欲しい、という意地を張るような気持ちにもなり、そんな自分を慰めるために、それほど欲しいわけでもない本を、(あ、これ欲しかったんだよな)と思い込んで買う。よかったよかった。
ネットで本を買うのが当たり前になっている世代の子たちは、こう思うのではないか。
え、ばかなんじゃないの。
否定できないのが悔しい。ネットで検索してタップすれば一分もかからず完了する買い物を、半日かけてやって、それで交通費を払い、体力を消耗し、そんなに欲しくない本を買う。とてもスマートとは言えない。合理的でもない。でもかつてはそうやって本を探し歩いた。
ただ、何軒も本屋を歩いて、最後の最後でようやく探し求めていた本が見つかったときの喜びは格別だ。
「そう、これ。これが欲しかったんだよ! よかったー」
本を手にとり、大切にレジに持っていく。本屋を出るともう日が暮れはじめている。
バス停でバスを待ち、バスに乗り込むや、本屋のロゴが印刷された紙袋からガサゴソと本を取り出し、開く。目次を確かめる。そう、これ、この本。たまらない気持ちで、一、二ページ、読む。
するとどうだ。まず気持ちが悪くなる。バスで本を読むと酔う体質なのだ。でも、もうちょっと読みたい。読む。吐き気が喉元までせり上がる。もうちょっと、いやこれ以上読んだら吐く。だめだ、と本を閉じる。薄闇のバスの車窓には、歩き疲れた自分の顔が映っている。早くバス、着かないかな。そう思いながら時間をやり過ごし、気持ち悪さが少し落ち着いてきたところで再び手元の本に視線を戻し、表紙を眺める。愛でるように眺める。ときどき無意味に本をひっくり返して裏表紙を見たりもする。帯のキャッチコピーや短い文章を読む。で、また吐き気をもよおす。
いよいよバスが家の近所に着く。外はすっかり暗くなっている。
バスを降り、家路を急ぐ。胸のあたりがまだ気持ち悪さが残っているのであまり早くは歩けない。でも急ぐ。信号待ちで、本の紙袋が風にあおられてがさがさ音を立てる。がさがさ。がさがさ。テープが外れて、もうつけ直しても粘着力がない。本が落ちないように紙袋を小脇に抱える。信号が青になる。
あの時間。ネットで買えないものは、たぶんあれだ。
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