Essay
目印と本
#45|文・藤田雅史
本を読んでいると、「あ、これいいなあ」とか「これ、覚えておこう」という文章に出くわす。誰かの名言だったり、美しいフレーズだったり、目から鱗の知識だったり、「コーヒーを毎日飲む人は飲まない人よりもがんになる確率が低い」みたいな実用の情報だったり、どんなものであれ、心を動かされた文章はちゃんと心に留めておきたい、と思う。
ところが困ったことに、心というのは忘れやすいもので、「ここ、いいね、覚えておこう」とそのとき思ったとしても、その「いいね」の感覚は覚えていても、では何がよかったのか、いちばん大事な具体的な部分を、本を閉じた途端、忘れてしまったりする。「あれ? コーヒーだっけ、紅茶だっけ、緑茶だったかな……」みたいに。もっと記憶力がよければと、これまでの人生で何度思ったかしれない。目にしたものや読んだものを頭や心に定着させる能力がもっと高ければ、人生、変わっていただろう。
たとえば学校の国語や英語のテキストのように、強制的に何度も音読や書き取りをさせられれば、文章は記憶に定着する。学生のときに繰り返し聴きこんだ歌の歌詞が、繰り返し見た映画の台詞が、今もすらすら出てくるのと同じだ。でも、本というのはそう何度も読み返すものではないし、基本的によほど気に入ったものでなければ一回読んだらおしまいだ。一回では頭に入らない。そして、「いいね」の感覚もその内容も、時間の経過とともに失われていく。
だから、本を読むとき、「ここ、いいね」と思ったら、すぐにそのページがわかるよう、目印をつけるようにしている。そうすれば、「あの本に何か大事なことが書かれていた」と思い出したとき、記憶に頼ることなく、その場所にすぐたどりつける。「あ、コーヒー。やっぱコーヒーですよ」と。
ではどうやって目印をつけるか。ずっとやってきたのは、ページの端を小さく三角に折る方法だ(そのかたちの連想からだろう、「ドッグイヤー」と呼ばれているらしい)。指でぴっとページを折るだけなので簡単だ。誰でもできる。道具もいらない。ページの上端と下端に、それぞれ別の役割をもたせて折ったりもする。
ただ困ることがあって、そのページに例えば5カ所、「いいね」部分があった場合、ドッグイヤーだけでは表現しきれない。折られたページの端からわかることは、そのページに大事なことがあったよ、という大雑把でざっくりとした情報だけだ。それ以上のもっと具体的な「ここがよかった」という印をつけるには、書き込みをするしかない。(あまり本に書き込みはしたくない主義だ。)
そこでもっと厳密に正確に、大事な部分をピンポイントで、それも同一ページ内の複数カ所に対応できるような目印のつけ方はないか。誰でも一秒で思いつくのが付箋だ。付箋であれば、その行がある部分をピンポイントで選んで貼れる。付箋の色でさらに分類までできる。紙を折らないので、用がなくなったらはがしてしまえば、あとも残らない。素晴らしい。
ところが付箋というのは一般的な小さめサイズのものであっても、たとえば文庫本に使おうとすると案外大きく、そしてそれよりも小さい極小サイズのものを買うと、指が太いせいもあって、実に使いづらい。いつも僕がデスクの引き出しにストックしている付箋は、一般的な小さめサイズの使いやすいものなのだけれど、これを本に貼ると、だいたいにおいて文章にかぶってしまう。邪魔だ。かといって文章の版面を避けて貼ると、本から長いぴらぴらが出て見た目がひどく悪い。だから僕はずっと付箋派ではなく、ドッグイヤー派だった。
先日、子どもが学校で使う文具を買い足すために近所のショッピングモールに行き、文房具売場を歩いていて、あ、と気づいた。そうか、これを使えばいいんだ! 透明付箋。
買ってきて使ってみたら、本に目印をつけるのに最適だった。透明だから貼っても文章を隠さない。どうして今まで気づかなかったんだろう。もうずっと以前から普通に売られているのに、そのことも知っているのに、なぜ透明かも理解しているのに、本の目印としてこれまで使おうとしなかった自分が不思議なほどだ。やっぱり頭、足りないんじゃないか。
透明付箋、いろいろな種類を買ってみて、今は小さなプラスチックのカバーケースに入っている10mm幅の3Mのポストイットを愛用している。「コンパクト透明見出し」という商品名の、3色入りのやつだ。そのパッケージに印刷された商品説明の通り、フィルム素材なのでやぶれにくく丈夫で、しっかり貼れてきれいにはがせて、しかも一枚ずつ取り外せるカバーケースに入っているので使用前に付箋自体を汚すこともない。大きさも手頃だ。これはいい。
というわけで最近、付箋派に宗旨がえしました。
ただひとつ問題なのは、本と一緒にそれを持ち歩くのを忘れることだ。やっぱりもっと記憶力がよければ、人生、変わっていただろう。
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