Essay
脳トレと本
#48|文・藤田雅史
そもそも時間がないと、本を読む時間もない。
この春は、あの仕事この仕事あの打ち合わせこの打ち合わせあの締切この締切と、読点をうつ余裕もないくらい、なぜかいろいろな仕事がいっぺんにやってきて、2月の後半から4月の後半までずっと大忙しだった。ひとつひとつを片付けているあいだに体調を崩して風邪をひいて、桜が咲いて桜が散って、新刊『ちょっと本屋に行ってくる。』の発売もあったのに、ちょっと本屋に行ってくる、と現実に口にする余裕もなく、ということは当然まともに本を読む時間もなく、まあとにかく忙しかった。疲れた。
で、ようやく一段落。大型連休というのはありがたい。仕事相手が休んでいるあいだは、仕事をしなくて済むのだ。早速、本屋に行った。よーし、ゴールデンウィークは読みたい本を読むぞーと鼻息荒く大型書店の自動ドアの前に立った。
久しぶりに入る本屋というのは、きらきらと輝いて見える。新刊コーナーははじめて見る本ばかりだし、雑誌の棚も前回訪れたときからほとんどが一新されている。文庫の「今月の新刊」のラインナップも先月とはまったく違う。あれもいいな、これも欲しいな、とあれこれ店内歩き回って物色しているうちにだんだんと興奮してきて、鼻息がよけいに荒くなる。パドックでイレこむ休み明けの競走馬になったような気分だ。久しぶりの本屋はいい。「よーし、今日はもう欲しい本は全部買っちゃうぞ」と心に決めた。この2ヶ月、頑張って働いたのだ。自分へのご褒美だ。よし、10冊。今日は10冊までOKにしちゃおう。
でも、本というのは重い。何冊も脇に抱えて店内をぐるぐる歩き回ると疲れる。カゴに入れて持ち運んでも、手で持つ部分が手のひらに食い込んで痛い。そこで、欲しい本を覚えておいて、最後にまとめてピックアップすることにした。
ところが、雑誌はあれ、文芸はあれ、新書はあれ、健康本はあれ、歴史はあれ、と頭の中でリストアップしていくうち、6冊目を越えたあたりから「ん?最初に見つけたのは何だっけ?」とそのリストが飛びはじめた。「ああ、あれだ、あれ」と思い出して、また次の棚に移り、7冊目を決めると、今度はまた別の本が記憶から飛んだ。「さっきスポーツの棚でこれマストで買わなきゃっての見つけたのに……何だっけ」。加齢というのは恐ろしい。もともと物覚えのいい方ではないけれど、40代前半でこれでは、還暦を迎える頃には本屋の出入り口さえ忘れて迷子になってしまうのではないかと心配だ。
そこでふと思った。これ、脳トレになるんじゃないか。
本を10冊、どこの棚のどの位置にある何という商品か、しっかり記憶し、最後に記憶した順番通りに本をピックアップする。3冊、4冊なら何のストレスにもならないけれど、10冊となるとかなりのメモリを消費する。頭を使う。しかも、それだけ本屋の店内をぐるぐる歩くことになるのだから、軽いウォーキングにもなる。よし、挑戦してみよう。
本屋に入店してから1時間後、いよいよ10冊目の本を決めてから、ひとつ大きく息を吐き、1冊目から順番に思い出す。頭の中に店内見取り図を思い浮かべ、印をつけていく。雑誌→文芸→新書→健康→歴史→スポーツ→旅行→文庫→芸術→新刊。見つけた順に、というのがポイントだ。たとえ新書コーナーと文庫コーナーが隣接していても、そこで楽をしてはいけない。商品、場所、順番、そのすべてをきちんと覚えることが大事なのだ。できたらここに、合計金額の加算もできたらベストだ。すべてを思い出したら、棚から棚へと渡り歩き、スタンプラリーのように順番にピックアップしていく。
で、10冊。今回はなんとか完遂できた。本を9冊胸に抱え、10冊目の棚に向かうとき、マラソンの選手がスタジアムのトラックに戻ってくるときの気分というのははたしてこんな感じだろうかと思った。ただ本屋に本を買いに来ただけなのに、すごい達成感だった。爽快だった。本を選ぶのは楽しい。本を買うのも楽しい。その上、脳のトレーニングと健康増進も同時にできる。なんて素晴らしいアイディアだろう。
ただひとつ残念なのは、レジで現金が足りなかったことだ。(カードで買った。)
この本屋脳トレ、とても毎回はできない。
■
本サイトのウェブ連載エッセイが、一冊の本になりました!「本とともにある、なにげない日常」を、ちょっとしたユーモアで切り取る、本にまつわる脱力エッセイ『ちょっと本屋に行ってくる。』現在好評発売中です。>>詳しくはこちら
藤田雅史『ちょっと本屋に行ってくる。』
issuance刊/定価1,540円(税込)