Essay
おじさんと本
#50|文・藤田雅史
はじめての単行本が出ます、とここで書いたのは、ちょうど3年前のことだ。ラジオドラマ用に書いた短い物語を小説として書き直した、『ラストメッセージ』という短篇集だった。そして去年、2冊目の本が出て、今年の4月に発売したエッセイ集『ちょっと本屋に行ってくる。』で、僕の本は3冊目となる。来月には4冊目が刊行される予定だ。読んでくれた皆さん、本当にありがとうございます。
さて、本を出版すると、それを人に伝える必要がある。といっても、一般の方々に告知宣伝をする、という意味ではなくて、身のまわりの親しい人たちに、「本、出ました」あるいは「本、出ます」とお知らせする、という程度のことだ。もちろん本屋さんで買ってくれたら嬉しいけど、毎回「買って」とお願いするのは気が引ける。だから、毎回、手元にいくつか届く見本を、お知らせを兼ねて、仲のよい親戚に送ることにしている。短く一筆添えて、ちょっとした近況報告のように。自分にとって、本の発売日前後のそれは儀式のようなものだ。
先月、親戚のおじさんが亡くなった。おじさんは僕の祖母の姉弟で、享年95歳。僕の実家の近くのマンションに住んでいたので、子どものときから何か親戚の集まりがあると(祖母の家でご飯を食べたり、みんなで花火を見に行ったり、親戚旅行に参加したり)、いつもおじさんも一緒だった。おじさんは数年前に連れあいを亡くして、しばらくひとり暮らしをしていた。90歳を過ぎてもかくしゃくとしていて、しっかり者で、パソコンも使えた。最近はマンションの仲間と麻雀を楽しんでいたらしい。そんなおじさんが体調を崩して、介護サービス付きの高齢者向け集合住宅に入ったのが今年の春。急だった。
3年前にはじめて本を出したとき、遠くの親戚に発送した後、おじさんの暮らすマンションにも本を届けに行った。あいにく留守だったので、トートバッグに入れて、部屋のドアノブにぶら下げてきた。「本出したよ。よかったら読んでね。」くらいの簡単なメモを添えて。後日、おじさんから電話がかかってきた。「まあくん、本、届けてくれてありがとう。」まあくん、というのは僕のことだ。
「これ、まあくんが書いたのか。たいしたものだなあ。うん、たいしたものだ」
すぐに読んでくれたらしい。おじさんは弾んだ声ですごく喜んでくれた。たいしたものだなあ、と何度も言ってくれた。それまで、おじさんから何かを褒められた記憶なんてなかった。ちょっとしたことを注意されたり、叱られたり、そういうことはあったけれど、褒められた、というのはない。だからとても意外だった。そして、嬉しかった。嬉しかったけれど、やっぱり照れた。まあまあ、もうそのへんで、という、こそばゆい気持ちで電話を切った。
2冊目が出たときも、もちろん届けた。そして3冊目が出た今年の4月、おじさんは長年暮らしたマンションを出て、高齢者向け住宅に入っていた。5月に一度顔を見に行って、おじさんの部屋で30分くらい話をした。前に会ったときよりずいぶんと体力が落ちた感じがして、少し疲れ気味だったけれど、会話ははっきりしていたし、僕の子どもたちの写真を見て目を細めてくれた。「子どもたちが元気なら何よりだ、幸せだ」と、何度も僕の家族のことを気遣ってくれた。そのときせっかくだから新しい本を渡そうかと思ったけれど、本を読む元気があるかどうかわからなかったし、それが負担になってはまずい気がした。とりあえず余計なことはしない方がいいと思った。
そしておじさんに会うのは、それが最後になってしまった。世の中はだいぶ動きが出てきたとはいえ、それでもコロナ禍、高齢者の施設なので、面会は予約制で、気軽にふらりと顔を見に行くことはできない。僕自身、仕事で忙しかった。またそのうち、夏に会えるかな、くらいに考えていた。でも、もう会えなくなってしまった。
1冊目の本を出したときの、電話口のおじさんの声は、今もはっきりと耳の奥に残っている。声を聞いただけなのに、表情まで浮かんでくる。照れながら「ありがとう」をたくさん言ったけれど、まだ、言い足りない気がする。こんなふうにおじさんのことを勝手に書いたことを知られたら、「ばかもん、こんなもん書かんでいい」と怒られそうだ。でもまあ、書いてしまう。
どんな文章の書き手にとっても、自分の名前で出したはじめての本というのは感慨深いものだろう。思い出深いものだろう。僕にとって、1冊目のその本は、それ以上に、本当に大切な本になった。おじさんが褒めてくれたおかげで。
たとえもう会えないとしても、人と人はつながっていられる。そういえば、その短篇集のテーマは、まさにそういうことだった。
ひとりひとり、一冊一冊、本には思い出が宿る。
長く生きていれば誰でにもきっと、一冊や二冊、そういう大切な本がある。
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