Essay
旅と本
#58|文・藤田雅史
雑誌ではあるが、売り物ではない。売り物ではないのに、ちゃんとした雑誌である。フリーペーパーかといえば、フリーペーパーなのかもしれないが、そんじょそこらのフリーペーパーとはクオリティが違う。
機内誌が好きだ。とくに日本航空(JAL)と全日空(ANA)の飛行機の座席の前のポケットに差し込まれているあの雑誌。『SKYWARD』と『翼の王国』。機内でのひまつぶしに最適で、しかも、読めば世界中のいろんな場所に連れて行ってくれる。
そういえばもう長いこと飛行機に乗っていない。コロナ禍で気軽に旅行できなくなったからというのもあるけれど、いや、考えてみればその前からずいぶん乗っていなかった。学生のときは、旅行なんてこの先いくらでもできると思っていた。時間だけはたっぷりあったから、いつでもどこでも、お金さえあれば自由に行ける。そう思っていた。
でも実際はそうではなかった。仕事に追われたり、結婚したり、子どもが生まれたり、大人と呼ばれる年齢になると、日常生活はなかなか「自由な旅」を許してくれない。次第に、どこかへ行きたい、という興味も薄れていった。今、僕は42歳。あと何年かして、子どもに手がかからなくなり、それなりに蓄えもできれば、今度こそ自由にどこかに旅行できるだろうか。
さて、先日、久しぶりに機内誌を手にとった。飛行機に乗ったわけではない。旅行で大阪に行った母が、お土産にくれたのだ。どんなお土産より、行き帰りの飛行機の機内誌は嬉しい。どうせ旅行するなら、できたら月をまたいで、行きは先月、帰りは今月、の機内誌を持ち帰ってきてくれないものかと、わがままなことを思う。
母が利用したのは日本航空だったので、お土産のそれは『SKYWARD』だった。浅田次郎のエッセイがまだ続いているとに安心し、まずはそこから目を通す。機内誌のレイアウトにはゆとりがあって、読みやすい。イラストも美しい。このクオリティが好きだ。
そういえば以前、全日空の『翼の王国』に吉田修一が連載をもっていて(小説のときもエッセイのときもあったような)、そのシリーズを読みたいがために、ネットオークションで『翼の王国』1年分を落札したことがあった。同じく『翼の王国』には、かつてオキ・シローの掌編も連載されていた。ショート・ショートの分量でサクッと楽しめるそのカクテル・ストーリーは、僕にとって、「お話っていうのは、こういうふうに作るんだよ」という短篇作法のお手本のようなものでもあった。(つい最近自分が上梓した短篇集の中に、オキ・シローっぽく書いてみよう、と思って作ったカクテル・ストーリーが一本ある。「最後のオレンジブロッサム」というタイトルで、このタイトルもそれっぽくつけたつもりだ。分かる人にはきっと、分かってもらえる気がする。)
ところで、少し残念なのは、以前より機内誌のボリュームが減ってしまったように感じたことだ。今のものと昔のものを手に比べたわけではないのでただの印象でしかないけれど、こころなし、若干薄くなったような、中身が減ったような、そんな気がした。『翼の王国』の最新号をネットで調べてみたら、こちらの目次に、もう小説連載はなかった。そういえば、JR東日本の新幹線で読める『トランヴェール』も最近はかなり薄くなってしまった。世の中の変化にあわせて、といえば仕方がないのかもしれないけれど、移動中はスマホではない何かを手にとって読むことに楽しみを感じる者としては、やはりちょっとさびしい。
『SKYWARD』をぺらぺらめくりながら、ふと思った。機内誌に何かしらの原稿を書く仕事をする人は、たとえ自分が好きなところに自由に行けないとしても、自分の作品が世界中を旅することになる。書き手の知らない、たくさんの出会いがきっとそこにはある。自分が旅をするより、そっちの方がよほどロマンチックかもしれない。
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