Essay
英語学習と本
#59|文・藤田雅史
3月の終わりのある日、ぽっかりと時間が空いた。夕方まで予定していた仕事が、思いのほか早く昼過ぎに終わって、その日のスケジュールに3時間ほどの空白ができた。去年の暮れからずっと忙しく、特に年度末は時間と締切に追われながら過ごしていたので「何をしてもいい3時間のフリータイム」はちょっと特別な時間に感じられた。
何をしようか。3時間もあればけっこう何でもできる。でもこういうときの自由時間というのは、案外うまく使えないものだ。横になってぐったり休みたいという気分ではなく、かといって他の仕事を前倒ししてやるような気力も残っていない。映画でも見に行こうかな、と思ったものの、都合のいい上映時間の見たい作品が近所の映画館にはなかった。
いいやもう、YouTubeでも見よう。そう思ってアプリを立ち上げた。適当にサッカーのハイライト映像をクリックすると、広告が流れてきた。「スキップする」が表示されるまでの数秒がうざったい。その広告は、英語の教材だった。ん、と思った。あ、この3時間で英語の勉強でもしてみるか。
今、友人が仕事で香港にいる。赴任期間は3年で、遊びに来てよ、と言われている。せっかくだからその3年のうちにぜひ行ってみたい。そのとき、まあそれなりのレベルでいいから、旅行する上で困らない程度に英語が読めたり聞き取れたりしゃべれたりしたらいいじゃないか。うん、英語の勉強をしてみよう。
早速「英会話」のキーワードを検索し、とりあえず上位に表示された「私はこれで短期間でネイティブ並みの英語能力を習得しました」という内容の動画を見た。画面の中央で若い女性が話をしていた。「英会話といっても、やっぱり大事なのは文法と単語。このふたつはマスト。まずはそこをやらないと英語は習得できない。」そんなことを彼女は熱く語っていた。
彼女の話を聞きながら、うん、確かに、と思った。英語を話したいのに話せないのは、聞き取りたいのに聞き取れないのは、まずもって単語がちゃんと頭に浮かばないからだ。なにかをしたい、と口にしたくても、「○○する」に該当する動詞がわからない。言葉が出てこなければしゃべれないのは当たり前だし、そもそも人は知らない言葉を聞き取ることなどできない。
それに単語がわかったとしても、それをつなげるルールがわからなければしょうがない。中学生のとき、英語の点数は悪くなかったが、文法用語みたいなものが苦手で、英文法はかなりちゃらんぽらんだった。テストはだいたいフィーリングで乗りきった。高校英語はつまづくべくしてつまづいた。
よし、英語の勉強だ。
で、何をしたか。そのぽっかり空いた時間で、まず本屋に行った。YouTubeの人がオススメしていた英文法の本を探す。どうやら売れ筋の本らしく、棚の手前に平積みになっていた。それは「中学レベルの英文法をいちからやり直そう。めっちゃ丁寧に教えてあげるよ」という内容のもので、ぺらぺらめくると、確かにわかりやすかった。(ちなみに、本屋の英語学習の棚は「中学」というキーワードがたくさん目につく。「中学」は、英語学習初心者にとってのパワーワードだ。そのくらいなら自分でも……となんとなく思わせてくれる。)とりあえずその本と、あと単語の本も一冊買って、その日は帰った。
副詞という品詞は、単体では5文型のS,V,O,Cのどれにも使えない。そんなこと、これまで知らなかった。言われてみれば確かにそうだ。自動詞と他動詞の区別がどれだけ大事かも、本を読んでようやく知った。少しずつそういうことを知っていくと、もっと知りたい欲求が出てくる。よし、まずは文型と品詞からちゃんとやり直そう。
で、翌日。またしても本屋に行った。文型についての詳しい本を探し、買った。ついでに前日に買った単語の本が僕にはちょっとレベルが高すぎたので、それよりもレベルが少し低そうな本を買い直した。売場の棚をあれこれ物色していると、「あ、これいいんじゃないの?」という本がたくさん見つかる。上の2冊の他にも、「ネイティブの子どもはこういうフレーズを覚えながら英語を身につけていくんですよ」という内容の本と、「takeとかgetとか、よく使う動詞のことちゃんと理解してないでしょ、それじゃダメだよ、ちゃんとわかって使いなさいよ」という内容の本も買った。
かくして英語の本が、今、止まらぬ物価高のごときの勢いで部屋に増え続けている。英語は本を読んだだけじゃ身につかない、と忠告されそうだけれど、基本的に人見知りが激しく、馴染みのない集団に溶け込むのが苦手な僕には、最初の手段として「英会話教室に通う」という選択肢がない。僕にとっての「先生」は、もっぱら本だ。思い返せばこれまで、何を学ぶにも、まずは本からはじまった。
こういうときの本との出会いは、いつも思うのだけれど、人と同じで、自分との相性、レベルのマッチングが大事だ。それを少しでも間違えると、続かない。途中で飽きるか、嫌になる。さすがに40年以上生きてきたので、もう「せっかく買った本なんだから、最後まで付き合わなければもったいない」みたいな考え方は捨てるべきだと気づいている。「この本は今の自分のレベルじゃない」と判明したら、どんなに高価な本でもすぐに割り切るのが肝要だ。大人はお金を無駄にできても、時間を無駄にはできない。
というわけで新年度から、英語学習がはじまった。今のところの計画では、じっくり1年かけてちょこちょこ仕事の合間に勉強しながら、中学レベルの英文法をマスターし、中学レベル+αで日常会話に必要とされる3,000語くらいの英単語をおぼえるつもりである。
さて1年後、どうなっているだろう。目標を達成しているか、とっくに挫折しているか。そしてどれだけたくさんの英語の本が部屋に積み重なっているか。もしかしたら、この連載が英語で書かれているかもしれない。いや、それは無理だな。
That's impossible.
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