Essay
永遠と本
#61|文・藤田雅史
我ながら呆れる。先々月の「英語学習と本」という稿で、「新年度から、英語学習がはじまった。今のところの計画では、じっくり1年かけてちょこちょこ仕事の合間に勉強しながら、中学レベルの英文法をマスターし、中学レベル+αで日常会話に必要とされる3,000語くらいの英単語をおぼえるつもりである。」と書いた。ところがそれから2週間で早くも挫折してしまった。先月は「白黒映画と本」という稿で、白黒映画ブームがやってきたと書いた。そして今、ブームはあっというまに過ぎ去っている。
自分の三日坊主っぷり、飽きやすさに、我ながら呆れている。何ごとにもバイオリズムというのがあるのは確かだ。でもいい大人なんだし、もうちょっと継続性、粘り強さのようなものがあってもいいのではないかと思う。
継続、といえば、先日、ある小説の連載企画が、残念なことに依頼側のよんどころない事情によりポシャってしまった。半年近くかけて構想を練って準備していた年間連載で、今年はこの仕事をメインに1年間まるまる継続して取り組む予定を組んでいたので、けっこうショックは大きい。仕事が飛んだせいで、スケジュールにぽっかりと空白ができた。まあ本でも読んで気を取り直そう、と思ったものの、なぜか急に現代小説を読む気がしなくなり、今、本棚で埃を被っていた昔の小説を読んでいる。
武者小路実篤の「友情」。大学生のときに読んで以来、約二十年ぶりの再読だ。武者小路実篤について何も知らなかった当時の僕は、「武者小路」という独特な苗字のいかめしさ、画数の多さ、ジャパニーズトラディショナルな語感から、さぞや難解な文章を書く作家なのだろうと思いこんで身構え、心して読んだ。でもその文体は想像していた「武者小路」の語り口ではなかった。実に平易だった。あまりにすらすら読めるので驚いた。描かれる物語も若い男女の三角関係で、まるでテレビドラマのようだった。読みながら僕は、ときに共感し、ときに呆れ、そしてときに笑った。「武者小路」を読んで笑うとは、本を手に取ったときには思いもしなかった。
どんな小説か、すでに古典なのでネタバレを気にする必要はないと思うので簡単に書くと、主人公の「野島」という若者が友人の妹の「杉子」に片想いをして、必死に近づこうとするものの、恋愛相談にのってもらっていた親友の「大宮」にその「杉子」をとられて泣く、という話だ。身もふたもない、こんなまとめ方では叱られるかもしれないけれど、実際そういう話なのだから仕方ない。せつない恋の話であり、モテない男の間の抜けた話でもある。Googleで検索したら、作品の説明のところに、「永遠の青春小説」と書かれていた。「武者小路実篤」の語感からくるイメージと、「永遠の青春小説」からくる青空背景のアニメっぽいイメージがあまりにも合致しなくて、またちょっと笑ってしまった。
AがBに恋をして、BはCに恋をして、AとCは友達でめっちゃ気まずい。そんな三角関係は、2020年代の今も世界中のどこにでもごろごろ転がっている。人間というのは、結局、どの時代でも同じことを繰り返しているらしい。人間の手による創作物もまた、手を替え品を替え、同じことを表現し続けている。J-POPが歌謡曲の時代からいつまでも変わらず「君のことが好き」と歌い続けているように。
四十を過ぎた僕は、二十歳の頃と同じようにこの物語を読んだ。読めた。そしてそのことに、ちょっと感動した。本棚にあった文庫本は、新潮文庫の平成5年111刷のもので、巻末の年譜によるとこの「友情」という作品は1919年に大阪毎日新聞で連載がはじまり、1920年に初めて本として刊行されている。百年以上も前、大正時代に書かれた小説なのである。百年前の創作物を、学生のときに読み、大人になって読み、そして同じように楽しめる。そんなの別に普通のこと、と思われるかもしれないけれど、いや、それってやっぱりすごいことだよね、と改めて感じたのだ。
そして思う。もしかしたら、「英語を勉強したいのに、いつも三日坊主で終わってしまう者の悲哀」というのも、百年前にあったのではないか。ん、ということは百年後にもあるかもしれない。「英語を勉強したいのに、いつも三日坊主で終わってしまう者の悲哀」を作品として残すことができたら、「永遠の英語ビギナー小説」として読み継がれるだろうか。百年後の読者に共感してもらえるだろうか。
そんなことを考えながら、今日、武者小路実篤の別の作品、「お目出たき人」の再読をはじめた。
2ページ目にいきなり、『自分は女に餓えている。』とある。改行してもう一度、『誠に自分は女に餓えている。残念ながら美しい女、若い女に餓えている。』と繰り返される。
武者小路実篤、すごい。本当の永遠を見た気がした。
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