Essay
電車と本
#62|文・藤田雅史
突然、車が故障した。キーを回してもエンジンがかからず、保険会社のロードサービスにレッカーしてもらい、修理に出すことになった。故障したのが自宅の駐車場だったのが不幸中の幸い、これがもし出先だったら、路上だったらと思うとぞっとする。
車がないのは困る。翌日、ちょっと離れたところに行く用事があったので、久しぶりに電車に乗ることにした。せっかくだからと尻のポケットに文庫本を押し込んで、最寄りの駅の改札を通る。昼前の普通電車だった。先頭車両の隅っこに立ち、ドアに寄りかかりながら本を読みはじめたら、夏の日差しがあまりにも眩しく、ひと駅もたずにそれを閉じた。
電車の車内は混み合っているというほどではないけれど、それなりに乗客がいて座席はみんな埋まっていた。ドアを背にして見渡すと、老いも若きも、ほとんどの人がスマホを手にしていた。試しに数えてみると、ひとつの長いシートに横並びに座っている11人中、8人がスマホの画面に視線を落としていて、残るうちの2人がお昼寝中、ひとりだけが正面の窓を流れる景色を見ていた。なんだか景色を見ている人が「ちょっと普通じゃない」みたいな感じだった。おお、今はそういう時代なのか、と思って、ふと気づいた。あれ? 本を読んでいる人がいない。僕の立っている場所から見える範囲で、読書中の人はひとりもいなかった。
毎日、通勤電車に乗って職場に通っていたとき(それはもう二十年近く前のことだ)、片道50分の移動時間のほとんどを、僕は本を読んで過ごした。ときどき読むのに疲れて景色を眺めたり、音楽を聴いたりはしていたけれど、通勤時間は基本、本とともにあった。当時はまだスマホなんてものはなく、タブレットもなかった。でも携帯電話は普通にあったし、ドットの粗いその液晶画面はインターネットにもつながっていたはずだ。それでも僕は本を読んでいた。今なら、「これ読み終わるのにけっこう時間かかりそうだなあ」と手に取るのをためらってしまうような厚さの本でも平気で買えたのは、通勤電車の中で読めるから、というのがあった。片道50分の往復だと、薄めの本なら一冊まるごと読み終われる。なんなら本をちょうどいいところまで読み終えるために、わざとアパートの最寄り駅で降りずに、終点まで行って折り返したりもした。
自分が電車の中で本を読んでいると、隣に座った人や目の前に立っている人が読んでいる本がちょっと気になったりすることがある。そんなときは「あれ? 今、どのあたりだろう」と窓の外をきょろきょろ見るふりをしながら、「この人、何読んでんだろう」と周りの人の手元をチラッと覗いてみたりした。カバーがかかっていたり、角度的に表紙が見えない本でも、本文の文字組の感じから、これはミステリーだな、とか、これはなんか学術的な難しそうな本だな、とか、なんとなく分かるものだ。当時は男性週刊誌のグラビアページを平気な顔でめくっているおっさんがまだいたし(今もいるのだろうか?)、受験生は問題集や参考書を開いていて、あの、よくある赤い透明の下敷きがページのあいだに見え隠れしていた。
年の近そうな女の子が、僕の読んだことのある本や僕の好きな作家の本を読んでいると、ちょっとドキドキした。声をかけるなんて絶対にできなかったけれど、もしも今、声をかけたら……を想像して、その先の妄想を膨らませた。休日の西武新宿線の下り電車で高村薫の「レディ・ジョーカー」を夢中で読んでいる子を見つけたときは、もうそれだけで好きになりかけた。彼女が降りた駅で自分も降りたくなった。(たしか彼女が降りた駅は下落合だった。もちろん僕は降りなかった。)
本の中には、電車の中で読んではいけない本、というのがある。つい笑ってしまう本だ。ぶぶっ、と突然吹き出したり、にやにや口元が緩んでいるのを人に見られるのは恥ずかしい。このあいだ飲み会の席で「藤田さんの本買ってバスの中で読んだんですけど、読めなかったです」と言われた。そりゃあバスは酔いますよね、バスで本を読むのは気をつけた方がいいですよ、と返したら、その人は意外そうな顔をしてから、「いえいえ、そうじゃなくて。泣いちゃいそうで読めなかったんです」と言った。なんかちょっと褒められたみたいで嬉しくなってしまった。書く、という立場からすると、人を泣かせるよりも笑わせる方が数段難しい。もしも電車の中で、自分の書いた本を読んで「くぷっ、ぷぷぷぷぷっ」と気色悪く悶絶している読者を見たら、その本の作者は絶対に嬉しいと思う。冷静に「いや、全然そんなことないですよ」と言うかもしれないが、内心ほくそ笑んでいるに違いない。
電車は読書にぴったりだ。あのゴトゴト小刻みに揺れる感じ。退屈せずに時間がちゃんと過ぎていく感じ。人いきれの不快を忘れて自分だけの世界に浸れる感じ。本があれば、乗り換えや通過待ちの待ち時間も平気でいられる。僕が毎日通勤電車に揺られて勤めに出ていたのは、ほんの2年ほどだった。でもその2年のあいだに、たくさんの本を読んだ。振り返ってみれば、今僕が取り組んでいる「書く」という仕事の基礎体力のようなものは、案外、毎日電車に揺られていたあの二十代前半の日々に鍛えられたのかもしれない。
なんてことを思いながら車両の中をもう一度見渡して、なんとなく寂しく、未来が心細いような気がするのである。
それはそうと、早く車、直らないかな。
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