Essay
車と本
#65|文・藤田雅史
20年近く乗り続けている愛車が、いよいよ最後のときを迎えようとしている。
ここ数年、エアコンが壊れたり、キーを回してもエンジンがかからなくなったり、やけに燃費が悪くなったり、いろいろ調子の悪いところが出てきて、ああもうそろそろかな……と覚悟はしつつ、だましだまし乗っていたのだけれど、先月車検に出したら「今回は通してあげますけど、次はもう無理です」といよいよ宣告されてしまった。「ひと冬越せますか?あと2年はいけますか?」おそるおそる訊ねたら、「できるだけ早く買い替えてください」真剣な目でそう返されてしまった。
もうすぐ43歳になるが、実はこれまで一度も車を買ったことがない。友人が車を買うのにディーラーまでついて行って試乗に付き合ったり、妻の車を買い替えるときに一緒に中古車屋めぐりをしたことはあったけれど、自分で自分の車を選び、買った経験がない。今乗っている車は、高齢になって免許を返納した母親から譲り受けたものだ。
大学生で免許を取ったとき、できるだけ自分は車に興味を持たないようにしよう、と決めた。車、ゴルフ、腕時計。このどれかにうっかりイレ込んでしまうと、将来的に、お金がいくらあっても足りないのではないか。そういった「男の趣味」からは縁遠く生きる男になろう、と。車、ゴルフ、腕時計には今も興味がない。
でもそんなわけで、いよいよ車を買うことになった。買わなくてはならなくなった。
何かを新しくはじめるとき、僕の場合は真っ先に本屋に行くことにしている。何事も、本屋に行けば「基礎知識」がたいていそこにある。さっそく高速のインター近くにある郊外型の大型書店まで、名残を惜しみながら、もうすぐお別れになる愛車を走らせた。
店内に入り、これまで完全に素通りしていた「自動車」とか「カーライフ」とか「クルマ/バイク」の棚の前にはじめて立ち、まず、カー雑誌やムック本の豊富さに驚いた。うわ、こんなにあるのか、と思った。売場は「国産車はこっちで外国車はこっち」と左右にざっくり分かれていて、軽自動車はこのへん、SUVはこのへん、中古車はこのへん、外車はこのへん、ポルシェはこのへん、というように読者の需要に応じた細かな配置の棲み分けもできている。
見ればメーカー別の雑誌も出ているし、それどころか車種別の雑誌まで出ている。どうやらカー雑誌というのは、車を選び、買う、その目的のためだけに存在するわけではないらしい。車は一回買ったらそれで終わりではないのだ。車はずっと生活とともにあり、愛し続けていくものなのだ。そう、人は車のファンになる。なるほど、と思った。なめていました、ごめんなさい、とも思った。なんで謝りたいのかはわからないけど。
なかには、『75歳はじめての運転免許』というかなり危険な香りのする本まであった。カー雑誌コーナー、恐るべしである。
結局、2023年国産車ガイド的な、いかにも車のことをよく知らない素人向けっぽい雑誌を一冊買った。とりあえずどんな車があるのか(そしていくらくらいするのか)、知る必要がある。会計を済ませ、小脇に抱えて本屋を出ると、目の前はだだっ広い駐車場である。と突然、今まで見えなかったものが急にはっきりと見えてくるような感覚に襲われた。思わず目を見張った。そこには雑誌で立ち読みしたばかりの国産車がずらっと並んでいた。まさに見本市だった。
おお、本屋、最高。
思わず心の中で手を叩いた。自分の車を駐めた場所を忘れたふりをして、駐車場をうろうろする。うろうろしながら、じろじろ見る。店の中で知識を頭に入れ、店の外で実写見学。本屋、なんて効率がいいんだろう。ついでにこのまま試乗できたらいいのに。
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BOOK INFORMATION
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藤田雅史『ちょっと本屋に行ってくる。』
issuance刊/定価1,540円(税込)