Essay
酔っぱらいと本
#68|文・藤田雅史
年末に、お世話になっている編集者のNさんとふたりでささやかな忘年会をした。コロナ禍のはじまりの頃から4年ほど一緒に仕事をやってきて、「そのうち飲みましょう」「打ち上げやりましょう」みたいなことを互いに言い続け、ようやく叶った酒の席である。
いつどこで飲むかメールでやりとりしていたら、「昼間でもいいですよ」とのこと。「昼飲みいいですね!」「昼飲みやりたかったんですよ」「じゃあ決まりですね」とんとん拍子で話がまとまり、仕事納めの日、ランチタイムから飲める駅前の居酒屋で乾杯した。
それほどたくさん飲んだわけではない。ビールとサワー、あとは地元の新酒を何杯か。それでもランチ営業の閉店時間ぎりぎりまで粘り、楽しくしゃべった。すこぶるいい気分だった。最後の客として店を出ると、外は明るかった。当たり前だ。まだ14時半である。しかも青空で、冬の穏やかな陽光が心地よかった。
電車で帰ろうかバスで帰ろうか、考えながら歩き出すと、目の前に本屋があった。このエリアではいちばん大きいJ書店だ。なんとなくそっちの方に足が向いた。Nさんも寄っていくという。じゃあ、ということでふたりで店に入り、「まだ並んでますよね?」「どこに並んでます?」「あ、あそこにありますよ」と一緒に作った本が売場にあることを確かめて、新刊コーナーの前で別れた。
お酒が入った状態で本屋に行くことはあまりない。というかまったくない。飲む前に待ち合わせで本屋を利用することは多々あるけれど、飲んでから、というのはそもそもその発想すらない。気づくと、スポーツの棚の前で腰に手をあて、仁王立ちしている自分がいた。
目の前に大谷翔平が並んでいる。大谷、大谷、大谷だ。すごいね大谷。棚一本、上から下までまるごと大谷翔平の関連本で埋め尽くされ、大谷フェアになっていた。素面だったら一瞥しただけで通り過ぎただろう。でも立ち止まらずにはいられなかった。エンゼルスのチームカラーに染まった真っ赤な棚がやけに訴えかけてくる。来年はここがまるごと青に変わっているかもしれない。いや、赤い本の在庫も売りさばかないといけないから、赤と青が混在しているかもしれない。配色としてはまさにアメリカ。メジャーリーグ。そんなどうでもいいことを思い、いやでも来年、ドジャースで活躍しないと青い本が増えない、それは悲しい、手術したところは大丈夫だろうか、パフォーマンスが落ちたりしないか、そんなことをつらつら思ってひとりで勝手に胸を痛めた。酔っぱらいの心はなにもかもが染みやすく、そして移ろいやすい。
棚の前に突っ立って大谷翔平と対峙しているうちに、一冊買いたくなってくる。よし、あとで一冊選ぼう。そう決めて棚から離れる。次に立ち止まったのはミステリーの棚だった。米澤穂信の新刊が、この一年のオススメ本としてプッシュされていた。そうだ、これ、読もうと思って読んでなかった。これも買おう。買わなくちゃ。それからギャンブルの棚に行き、馬券指南本の前で数日前の有馬記念で三連単を見事的中させたことを思い出しながらひとりでニヤニヤし、文芸、健康、雑誌、コミック、美術、写真、いろんな棚をあちこち徘徊して、あれも買おうこれも買おう、お金足りるかな、まあいいやカードあるし、スマホでも買えるし、と気を大きくしながら、ようやく思い至った。
酔っぱらって本屋に行くと危険だ。何もかもが欲しくなる。何もかもがいい本に見えてしまう。飲み放題の生搾りグレープフルーツサワーを立て続けにおかわりするような感覚で、なんなら二杯同時に頼んじゃうような感覚で、あれもこれもと買おうとしてしまう。酔って正体をなくした翌朝、例えば起きるとベッドの隣に見知らぬ女がいた、みたいなことが、僕の場合は、起きると見知らぬ本が大量に積み上げられていた、みたいになってしまいそうだ。
でも結論から言うと、その日、僕は何も買わなかった。
大谷翔平の棚の前に戻って、どれか一冊を選ぼうと何冊か手に取り、結局選べなかったのだ。ぺらぺらページをめくっても、アルコール漬けの脳味噌では、文章がまったく頭に入ってこない。文体がよくわからない。目の前の活字がすでにゲシュタルト崩壊を起こしている。どの本を買ったらいいか、全然判別できなかった。多少なりとも理性が残されていないと、さすがに本は読めないらしい。
うん、今日はやめよう。酔ってるし。
自分でそう思えるだけの判断力は残されていた。2023年最後の本屋であった。
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BOOK INFORMATION
「本とともにある、なにげない日常」を、ちょっとしたユーモアで切り取る、本にまつわる脱力エッセイ『ちょっと本屋に行ってくる。NEW EDITION』11月25日発売。>>詳しくはこちら
藤田雅史『ちょっと本屋に行ってくる。NEW EDITION』
issuance刊/定価1,760円(税込)