Essay
自意識過剰と本
#72|文・藤田雅史
先月、忙しくて本を読む時間がない、なんならもう本を読む気も起きない、みたいなことを書いた。本についての連載を抱えていながら、困ったものである。
でも忙しさが一段落し、季節がよくなった途端、再び読書欲(というか本と触れ合いたい欲)がむくむくとわいてきた。いつもの「ちょっと本屋に行ってくる」自分が戻ってきた。よろこばしいことだ。冬のあいだにせっせと働いた分だけ、ちゃんと収入もある(それもまたよろこばしいことだ)。労働という抑圧からの解放だけでなく、そういう意味でも気が大きくなっているから、今、本を買うことに対してまったく躊躇がない。気になる本を見つけたら、一度に二冊、三冊、四冊、五冊、平気で買う。
こういうとき、本が好きでよかったと思う。たとえば五冊いっぺんに買っても、代金は一万円いくかいかないかだ。五千円前後で済むこともある。もしこれがブランドものの服や靴や家具や高級ワインだったら、五点買って一万円で済むということはないだろう。食べものにしろ、着るものにしろ、その他さまざまな趣味のものものにしろ、「ちょっと気が大きくなっているから思いきって散財したい」そんなとき、あとからクレジットカードの引き落とし明細を見て愕然とすることになるのは世の常だ。でも本は、一万円札一枚があれば確実に満足できる、そのコスト感、気軽さが安心だ。たくさん買ったらその分だけ読み終えるのに時間がかかるから、「また散財したい」と再び思いはじめるまでの欲望のインターバルを確保できるのも好都合だ。
ところで些細なことだが、買うつもりの本を何冊も抱えて売場を歩くとき、「何を買うのか」つい人目を気にしてしまうのは僕だけだろうか。
昨日、人体デッサンの本と、料理のレシピ本、短編小説の新刊文庫、哲学の入門書、筋トレ特集の雑誌を買った。五冊を小脇に抱えてレジに向かう途中、そういえばビジネス書のコーナーをまだ見ていなかったと思いその棚の方に足を向け、ふとその足を止めた。自分が手にしている五冊のいちばん外側に、人体デッサンの本の表紙があった。そこにはアニメタッチの美少女が描かれている。はじけるような笑顔で、胸が過剰に大きくて、お尻がぷりぷりしていて、ボディラインぴったりサイズの服を着ていて、恐ろしく丈の短いスカートをはいていて、なんというか、ああ、いかにも、な感じだった。
これを恥ずかしいと言ったら、アニメが好きな人に怒られるかもしれない。でも確かに、僕は恥ずかしい気持ちがした。(いや、僕、アニオタとかじゃないんです。別にこういう巨乳美少女を描きたいわけじゃなくて、二次創作とかでムフムフしたいわけでもなくて、ただ人体デッサンを勉強したいんです!)そう心の中で誰に対してかわからない言い訳をしながら、自然な仕草を装ってさっと本の順番を入れ替える。
とりあえず緊急避難的に、いちばん外側を筋トレ特集の雑誌にしてみた。でも今度はその表紙の「筋トレ」という極太ゴシックの活字がやけに大きく、痛々しく見えはじめてくる。「ああ、この人、マッチョ目指してんだ」「筋肉増やしてどうすんだろう。モテたいのかな」「え、あの顔で?」と、他のお客さんにすれ違いざま思われる気がする。(いや、そうじゃないんです、ただ冬のあいだに太ったから、ダイエットのために少し筋肉をつけたいだけなんです!別にマッチョに憧れているわけじゃないんです!バキバキのシックスパックを自慢したいとか、裸体を鏡に映してムキッとやりたいとか、そういうわけじゃないんです!プロテインとか飲んでないし!)再び心の中で言い訳をはじめる自分がいる。
アニメ少女と筋トレを内側に隠し(両方の表紙をくっつけて絶対に見えないようにして)、哲学の入門書を外側にする。するとまたそれはそれで、「哲学の入門書を買う男」いうのがかなり痛いのではないかと思えてくる。頑張ってインテリジェントな男を目指している、語りたがり系の、でも実際は頭の足りない馬鹿、みたいに見られるのではないか。「哲学なんてやってどうすんだろう。モテたいのかな」「え、あの顔で?」またどこからともなくヒソヒソ声が聞こえる。
美少女アニメオタクも、ゴリゴリの筋肉マニアも、知識ひけらかし系の男も、別に悪いわけじゃない。その人たちを否定するつもりもけなすつもりも毛頭ない。でも、自分はそうは思われたくない。それは自分を表現するイメージとして正確でも適切でもないんだ!
いつのまにか額に汗がにじんでいる。「この本を買う自分」を他人からどう思われているかだけでなく、汗に濡れた前髪までが気になってくる。なんなら着ているシャツの第2ボタンがうっかり外れていることまで恥ずかしく思えてくる。最終的に、料理のレシピ本と短編小説の文庫のどちらを外側にするかで迷って、大判のレシピ本が1/3程度見えるような感じで文庫の裏表紙をいちばん外側に抱える、という無難なコーディネイトで落ち着いた。これなら人目を引くことはないだろう。自分はいったい、本屋で何をやっているんだろう。
この自意識過剰は、「レンタルビデオ店で黒澤明とゴダールの間にエロビデオを挟んでレジに持っていく90年代の若者」の構図とほとんど同じである。(今の若者はもうレンタルビデオ店など利用しないのだろうから、この感覚はわからないかもしれないが。)どうやら人はどんな場所にいても、年をとっても、自意識、というものから逃れることができないらしい。いや、でもそんなことを気にしているのは僕だけだろうか。いやいや、みんな密かに心の内で「その本を買う自分が他人からどう見られるか」けっこう気にしながら売場を歩いていると思うんだけどな……。
ちなみに自意識過剰男の最大の難関は、レジだ。ちょっと可愛いアルバイトの店員さんに五冊まとめて差し出して、「あ、この人、バキバキのマッチョに憧れる美少女アニメオタクなんだ……」と思われることである。当然セルフレジを利用すべき局面だが、あいにくその店にセルフレジはなかった。
ここまで気をつけて、こだわって、でも会計を済ませた最後、店員さんが手渡してくれる五冊のいちばん上が、巨乳アニメ美少女だったりするからやるせない。それを慌てて隠そうとする自分がまた恥ずかしい。
いつも思う。ありのままの自分に自信を持って、堂々と生きたい。
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BOOK INFORMATION
「本とともにある、なにげない日常」を、ちょっとしたユーモアで切り取る、本にまつわる脱力エッセイ『ちょっと本屋に行ってくる。NEW EDITION』11月25日発売。>>詳しくはこちら
藤田雅史『ちょっと本屋に行ってくる。NEW EDITION』
issuance刊/定価1,760円(税込)