Essay
お絵描きと本
#74|文・藤田雅史
最近、絵を描いている。毎朝およそ1時間。スケッチブック1ページ分。4月の終わり頃からこの習慣をはじめて、二ヵ月が経過した。かつてこの連載で何度も書いたように、僕は英語学習とかギターとか、新しいことに挑戦するとたいてい(というか毎回必ず)中途半端なまま三日坊主で終わってしまう。今回も残念ながら……と書きたいところだが、ところがどっこい、スケッチブックは2冊目に入り、ますます楽しくなってきている。
何を描いているかといえば、女性の顔である。「人間を描きたい。ちゃんと描けるようになりたい。人体ドローイングがしたい」そう思い、これまで人を描く上でいちばん苦手なのが「女の人を描くこと」だったので(女性の顔を描くとたいてい微妙な、どこか男くさくい顔にしかならなかった)、そのハードルをクリアできれば、ノウハウを手に入れれば、けっこう何でも描けちゃうんじゃない?と考えたのだ。女性の顔をきれいに、かわいく、素敵に、バランスよく描くことができるようになれば、男だって、子どもだって、老人だって、何かのキャラクターだって、そのうち動物だって、描けるようになるのではないか。
今のところ自分なりに楽しんでいるし、がんばっていると思う。最近は正面の顔なら、写真やお手本を何も見ないでもだいぶいい感じに描けるようになってきた。
で、本である。
何かをはじめるときは当然、本屋に入門書を探しに行くわけで、何度も行くわけで、この二ヵ月でけっこうな数のお絵描き本を買いこんだ。初心者向けのデッサンの本、ドローイングの本、美術のための人体解剖図の本、なかに髪の毛の上手な描き方の本なんかもある。好きなイラストレーターさんの作品集やiPadのドローイングソフトの参考書などもいれると、十数冊は買っただろうか。髪を描くときの参考のための『トキめくきゅん♥ヘア ゆるふや愛されヘア 555 Style』は、売場を持ち歩くのもレジに持っていくのも恥ずかしすぎてその場でAmazonで注文した。(当方43歳男性。)
絵を描いていて壁に当たったとき、どうやって描けばいいかわからないとき、それらの本をぺらぺらめくって、「なるほどー、耳ってこうなってんのかー」「ふむふむ、これが僧帽筋と胸鎖乳突筋ね」みたいに使っている。ただ、どの本のどの部分が絵の参考になるかは、実際に壁に当たってみないとわからない。だから絵を描くときはいつもそれらの本を持ち歩……きたいのだけれど、それは思いのほか困難を伴う。
重い。
美術関連の本は重いのだ。ほとんどが大判で、ページ数が豊富で、紙も厚手ときている。したがって重量は普通の本の比ではない。一冊一冊が辞書のようなものだ。最近よくめくっている『ソッカの美術解剖学ノート』なる人体構造の本など、654ページもある。その一冊を持つだけで片手は完全にふさがるし、たとえば重さのあまりバランスを崩してうっかり道に落とし、そのときちょうど通行人の女子高生とかとすれ違って、めくれたページがあられもない姿をしたヌードポーズのページだったりしたらいたたまれないので、とてもそのまま持ち歩く気にならない。(人体の美術本とは、つまり人間の裸の本でもある。)持ち歩くときはバッグに入れないとダメだ。そう、本はバッグで持ち運ぶ。
リュックサック、ブリーフケース、紙袋、スーパーの買い物カゴ、いろいろ試したけれど、最終的に普通のトートバッグに落ち着いた。よく見かけるA4収納サイズのマチ付きのトートバッグ。結局それがいちばん使いやすい。この一週間は、それにスケッチブックと描画の道具、好きなイラストレーターの作品集を二冊と、あとヘアカタログ一冊を入れて持ち歩いている。
さて、この習慣ははたしていつまで続くだろう。いつか上手に人間を描けるようになったら、「重い本が三冊入ったトートバッグを肩から提げて歩き疲れている43歳の男の全身」も描いてみたいと思う。何のためにか、よくわからないけど。
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BOOK INFORMATION
「本とともにある、なにげない日常」を、ちょっとしたユーモアで切り取る、本にまつわる脱力エッセイ『ちょっと本屋に行ってくる。NEW EDITION』11月25日発売。>>詳しくはこちら
藤田雅史『ちょっと本屋に行ってくる。NEW EDITION』
issuance刊/定価1,760円(税込)