Essay
家庭教師と本
#75|文・藤田雅史
小学6年生の息子は、当たり前だが来年、中学生になる。
先日、個人懇談で担任の先生から「私立を受験する予定はありますか?」と聞かれた。何も考えていなかったので「いえ、普通に○○中に入れます」と答え、あとから息子に聞いたり、仲のいいママさんに聞いたりしたのだが、中学受験をする子に限らず、塾に通って勉強したり、夏季講習を受けたりする子はけっこういるらしい。
僕には、息子を塾に通わせる、という発想がそもそもなくて、だからちょっと驚いた。といっても、思い出してみれば僕が小学生のときだって公文や塾に通っている子はけっこういたし、進研ゼミをやっている子もまわりに何人もいた。むしろ塾に通っている子のほうが多かった。まったく驚くようなことではない。てか、それって普通?
「もしかして塾とか、行きたかったりする?」
おそるおそる、気づかなくてごめんね、というニュアンスで息子に聞いてみた。息子の答えは簡潔だった。
「行きたくない」
この親にしてこの子、この子にしてこの親、という気分で安心した。ただその一方で、これを機に勉強はそろそろちゃんと取り組んだ方がいいかな、とも思いはじめた。中学に上がれば、2年後にはもう高校受験。中学に入ってからの勉強でいきなり遅れをとったり躓いたりすると、取り戻すのに苦労する。今のうちから少しずつ、せめて毎日家で勉強する習慣くらいは身につけさせたい。
そこで、息子の機嫌のいいときを見計らって、「ねえ、毎晩20分でいいから一緒に勉強しない?」と持ちかけてみた。またしても息子の答えは簡潔だった。
「うん、いいよ」
かくして、1ヵ月ほど前から毎晩20分の僕の家庭教師タイムがはじまった。
息子は英語が苦手らしい。小学生の英語なんて会話中心のかんたんなものじゃないか、ただ先生のあとについて発音してりゃいいようなもんじゃないか、と思うのだけれど、「なんで英語なんてやらなきゃいけないんだ」「自分は外国になんて行きたくないし外国人にも興味ない」「ここは日本だ」「日本人は日本の文化をもっと大切にしなければいけない」と、幕末の攘夷派みたいなことをブツブツ言う。
英語が苦手、というのは高校受験ではかなり不利である。とりあえず、彼の英語アレルギーを取り除いてやりたい。英語、できるじゃん、わかるじゃん、実はけっこう得意なんじゃん?と思い込ませてやりたい。中学1年の英語の授業がはじまる前に、かんたんな英語の文法問題くらいすらすら解けるようにしてやりたいし、何より、英語ができると楽しい、というふうに気分を盛り上げてあげたい。おぼえた単語を日常生活で口にしたくなる、あの高揚感を味わわせてやりたい。
というわけで、いつもの流れと同じだが、本屋に行った。
面倒なことに、人に勉強をさせるには、まず自分が勉強をしなくてはいけない。教えるための中身が必要だし、質問に対してきちんと答えられるようにしなければいけない。そのためには本だ。本しかない。
「学習参考書」の棚の前に真剣な気持ちで立つのなんて、自分の大学受験のとき以来だ。中学3年分の英語の分厚い参考書を吟味し、いちばんわかりやすそうな(僕にとって)、ページをめくりやすそうな(僕にとって)、カラーでイラストが多くてとっつきやすそうな(僕にとって)、Gakkenのものを買った。ドリルも2種類買った。英語だけだと途中で気分が行き詰まるかもしれないので、ついでに算数と社会の参考書も買った(歴史は息子の得意分野なので、息抜きにちょうどいい)。
英語はね、語順が大事なんだよ。主語と動詞を常に文の中で意識しようね。be動詞ってこういう役割の動詞なんだよ。主語や時制や数で単語が変化するから気をつけようね。などなど、自分が中学1年のときにこれを大人がちゃんと教え込んでくれていたらよかったのにな、とずっと感じていたことを、今、褒めて伸ばすことを意識しながら息子に少しずつ教えている。
そして息子に教えながら、自分も教わっている、並走していることに気づく。大人になってから何度も挑戦しては挫折を繰り返してきた自分の英語学習が、この調子でいけば、3年間、息子と一緒にできるじゃないか。これは思わぬかたちで、自分にとってもいい習慣になりそうである。
これから本屋に立ち寄るときは、いつものコースに「学習参考書」が加わる。そう思って、また、はたと気づいた。本屋がなくなると、家で父が子に教える、こういう勉強ができなくなってしまう。ちょっと偉そうに大きなことを言ってしまうと、本屋の消失は、教育にとっての大きな損失に違いない。やっぱり本屋さんは絶対になくなっちゃいけない。
「父ちゃんの教え方じゃだめだ」
「やっぱり塾に行きたい」
息子からそう言われる日が来るまで、この時間ができるだけ長く続くといいなと思っている。
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BOOK INFORMATION
「本とともにある、なにげない日常」を、ちょっとしたユーモアで切り取る、本にまつわる脱力エッセイ『ちょっと本屋に行ってくる。NEW EDITION』11月25日発売。>>詳しくはこちら
藤田雅史『ちょっと本屋に行ってくる。NEW EDITION』
issuance刊/定価1,760円(税込)