Essay
芥川賞と本
#79|文・藤田雅史
この秋にはじまった、毎朝、中編を一本読む習慣。一本ごとに長短のばらつきはあるにしても、週5ペースで今も継続中である。
さて、80ページから140ページくらいの中編となると、これが案外、選ぶのが難しい。本は、よっぽど薄い本でも100ページ未満というのは滅多にないから、中編は一冊で一本とならない場合が多々ある。だいたい「中編+中編」「中編+短編」もしくは「中編+短編が複数」みたいな組み合わせで一冊の本になっているので、「すでにそれが中編くらいの長さの小説である」と最初からわかっている作品以外、いちいち本を本棚から引っ張り出し、ページをめくって長さを確かめ、「あ、これ短過ぎ」「あ、これ長過ぎ」と判別しないといけない。書店で中編を求めて買うときも、一冊ずつ手にとって収録作の長さを確かめないといけない。けっこう面倒くさい。
この習慣がはじまった頃は、「中編くらいの長さだったらあれとあれとあれと…」と読み直したい作品の記憶のストックがそれなりにあったのだけれど、すでにそのストックは底をつき、読む前にまず探す、というひと手間が必要なのである。
で、最近、あまり何も考えずに面白い中編小説を見つける方法に行き着いた。具体的に、最近読んで面白かった作品がこれだ。
滝口悠生『死んでいない者』
沼田真佑『影裏』
石井遊佳『百年泥』
上田岳弘『ニムロッド』
お気づきの方は一瞬でお気づきかと思う。そう、芥川賞受賞作。
「芥川賞とは かんたんに」でGoogle検索すると、「主に無名や新進作家による純文学の短編~中編作品の中から選ばれ、日本の文学賞の代表格ともいえる権威ある賞です」と出てくるように、これは短編〜中編が選ばれる賞で、その受賞作はまあだいたい、中編なのである。上に挙げた作品はどれも普段の朝イチの読書にはもったいないくらい、よかった。本屋で中編を探してとりあえず買うのがなかったら芥川賞受賞作を買っとけ、だ。
でもかつて僕には、そういうのを買いたくないときがあった。「芥川賞受賞!」と帯にデカデカと印刷され大量に平積みにされる受賞作を、「そんなの絶対に買わないぞ」みたいにあえて素通りしていた。なんだろう、有名な賞だから読んでみようだなんてそんなミーハーな自分が恥ずかしい、他人の評価に踊らされる自分が不甲斐ない、という類の羞恥心、妙なプライド。僕がどんな本を買うかなんて誰ひとり興味ないのに、読んで面白けりゃそれでいいのに、毎日本屋に通い詰める者の作法として、流儀として、そうありたい自分がいた。ほんと、今思うと恥ずかしいものだ。
ただその変なこだわりのおかげで、未読の芥川賞受賞作がまだまだたくさんある(そのストックも尽きたら、受賞に至らなかった候補作まで手を伸ばすという手もある)。賞というのは、権威であり、承認であり、ステージであり、ビジネスチャンスであり、人によっていろいろな側面を持っているけれど、一般読者からすれば、それはキュレーターとしての役割が大きい。たくさんの作品の中から、これがとてもいいですよ、と紹介してくれる。そういう意味で、賞はやっぱりありがたいもの、です。
絲山秋子『沖で待つ』
西村賢太『苦役列車』
川上未映子『乳と卵』
伊藤たかみ『八月の路上に捨てる』
津村記久子『ポトスライムの舟』
ちなみに上の作品は、芥川賞受賞作と知らずに、若い頃愛読していた作品。なんとなく世代がわかりますね。
昨日、朝比奈秋『サンショウウオの四十九日』を買いました。(ちなみに朝比奈秋は『私の盲端』もいいよ!)
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BOOK INFORMATION
「本とともにある、なにげない日常」を、ちょっとしたユーモアで切り取る、本にまつわる脱力エッセイ『ちょっと本屋に行ってくる。NEW EDITION』11月25日発売。>>詳しくはこちら
藤田雅史『ちょっと本屋に行ってくる。NEW EDITION』
issuance刊/定価1,760円(税込)