Essay
発売日と本
#83|文・藤田雅史
小学生のときによく通っていた本屋は、とても小さな本屋だった。
隣の小学校区の商店街にあって、家からは歩いて十五分ほど。八百屋と蕎麦屋と不動産屋を過ぎたあたり、フレンチレストランの真向かい、ドラえもんやサザエさんに登場するようなよくある「町の本屋さん」のイメージをひとまわり、いや半分以下にサイズダウンした感じの、ずいぶんと狭い(閉店後の跡地にできたのが普通の一軒家だったから、本当に狭い)小さなお店だった。
お店が小さければ、売場面積だって限られるので、品揃えがいいとはとても言いがたい。売れ筋の実用書やビジネス書、アイドルの写真集などが左右の壁に窮屈に並び、店の中央には文庫や文芸書の本棚が一台あるだけ。あとは新刊本を並べる平台がひとつ。そんな感じだった。
そこは本を選びに行く場所というよりも、はじめから買う目当ての本があるときに行く本屋だった。僕はもっぱら、マンガ雑誌とサッカー雑誌を買うために通っていた。『ドラゴンボール』や『スラムダンク』を読んで育った世代である。マンガ雑誌というのはつまり発行部数六百万部を誇っていた『週刊少年ジャンプ』のことで、それを毎週欠かさずに買って読むのが、当時の生活のルーティーンの一部だった。ちなみにわかりやすく世代を補足すると、漫☆画太郎先生の登場に衝撃を受けた小学生のひとりである。
その本屋に行くのは、決まった曜日、つまり雑誌の発売日だった。新しい号は、できるだけ早く手に入れたい。特にお気に入りの連載は、同級生の誰よりも早く読みたかった。ドラゴンボールの戦闘シーンだけの回なんて、読みはじめてほんの数分で読み終わってしまうのに、そのほんの数分が、一週間、待ち遠しくてたまらなかった。
で、発売日。学校の授業が終わって家に帰ってから、財布を握りしめていざ買いに走るのだけれど、ここでもどかしいのが、地方暮らしという点である。その発売日は発売日であって、実は発売日ではない。地方の雑誌の発売日は、物流の関係で関東圏よりも遅いのである。正確な「発売日」には、絶対に手に入らないのである。僕の住む町は、翌日に一日ずれていた。
この一日に、やきもきする。雑誌が店頭に並ぶ曜日そのものの間隔は、先週も今週も来週も変わらない。でも前号を手に取ってから、一週間だけでなく、さらに一日長く待たされているような感じがした。なんだかこう、関東圏の読者よりも損をさせられているような、彼らの後塵を拝しているような。事実、読むことに遅れをとっていたのは確かである。もしかしたらあれは、地方コンプレックスのようなものを苦々しく実感した、人生で最初の経験だったのではないだろうか。
一日遅れの発売日は、学校にいても、早く本屋に行きたくてずっとそわそわしていたものだ。教室には、どんな手を使ったのか「もう読んだ」と自慢する者や、「お父さんが昨日東京出張で買ってきてくれた」と得意げに新展開を語り出す者もいて、彼らの話に耳を塞いだ。
ああ、早く読みたい。早く買いに行きたい。
今思えばその程度のことでどうしてあれほど真剣になれたのだろうと思うけれど、とにかく真剣だった。あの一日が本当にもどかしかった。早く読みたくて仕方なかった。
高校生になると、もうマンガ雑誌は買わなくなった。ドラゴンボールの最終回のときのジャンプがどんなだったか、もうおぼえていないから、そのときにはもう買わなくなっていたのだろう。だんだん、近所のその小さな本屋には通うこともなくなり、本を買いたいときは、町の繁華街にある大きな本屋まで自転車やバスで通うようになっていた。大学に進学すると同時に東京に出て、社会人になってから帰ってきたら、そのお店はもうなくなっていた。
ところで、地方、といってもエリアによっては物流の仕組みが改善されたりして、以前とは違うのかもしれないけれど、僕の住んでいる町では、今も、マンガ雑誌に限らず、雑誌は基本、どれも一日遅れの入荷である。当時、インターネットがなくてよかったと思う。もしあの頃、今みたいにネットが普及していて、最新号の感想を誰でもSNSに書き込めるようになっていたら、せっかちな性格の僕は、それを見るのを我慢できなかっただろう。
地球の存亡をかけた悟空とベジータの決戦の結末を、読む前にSNSのタイムラインで知ってしまったら……。それはもう、試合結果を知ってからスポーツ中継の録画を見るのと同じことである。興醒めだ。まさに、そう、湘北vs陵南の最後のスコアを知ってからスラムダンクを読んだら……。
胸のどきどきは、常に、未知のもの、手に入らないものに対してのものである。好きなマンガの連載をリアルタイムで最初に読む楽しみは、その時代に生きた者だけの特権なのだ。こんなことを書いたら名作に失礼だと承知の上で書くけれど、待ち遠しくてたまらない、あの一週間とあの一日がなければ、僕にとって、名作は名作ではなかったかもしれない。
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BOOK INFORMATION
「本とともにある、なにげない日常」を、ちょっとしたユーモアで切り取る、本にまつわる脱力エッセイ『ちょっと本屋に行ってくる。NEW EDITION』11月25日発売。>>詳しくはこちら
藤田雅史『ちょっと本屋に行ってくる。NEW EDITION』
issuance刊/定価1,760円(税込)