Essay
町と本
#87|文・藤田雅史
仕事場のすぐ近く、100メートルも離れていない場所で、今、マンションの取り壊し工事が行われている。窓からおもてを見れば、昭和の時代からあるその古い建物は防音ネットに丸ごと覆われ、工事車両が出入りし、作業着姿の人たちが近所を歩いている。工事が終わるまでどのくらいかかるか知らないけれど、その防音ネットが取り払われるとき、窓からの眺めはこれまでとだいぶ違うものになっているだろう。それが少し楽しみでもあり、少し寂しくもある。
さて、そのマンションの取り壊し工事が始まったとき、僕が真っ先に考えたのは、はたしてその跡地に何ができるか、ということだった。住宅地のど真ん中だから、ワクワクするような商業施設が新たにできるということはないだろう、まあ順当に考えて新しいマンション。あるいは当面のあいだ平地の駐車場になって、ゆくゆくは建売住宅。どうせそんなところだろう。わかっている。それでも、ほんの少しだけ期待をした。本屋さん、できてくれないかな、と。
いわゆるひとつの「町の小さな本屋さん」が、僕の生活圏にはもうほとんどない。小学生の頃は、家から徒歩15分程度の圏内に、そういった風情の本屋さんが何軒もあった。小学校の近くのA書店、T書店、隣の校区のT社、同じ通りのN書店。バスで繁華街に出れば、H社、B堂、また別の名前のB堂。今もそのまま残っているのは、そのうちの一軒だけである。この30年のあいだに新しくできた本屋さんもあるけれど、その中で今も頑張ってくれているのは、それもまた一軒しか思い浮かばない。自宅からも仕事場からも、歩いて行ける場所に、本屋さんがない。
だから本屋さんに行くときは車を運転するのが大前提だ。「町の小さな本屋さん」にふらりと入るだけで、まず駐車場を探さないといけない。利用時間に応じて駐車料金を支払わないといけない。駐車料金をケチれば、かわりにバス代や電車代がかかる。本以外のことでお金のかからない「売り場面積が小さな規模の本屋さん」といえば、それはもう、ショッピングモールに入っている本屋さんに限られるのだ。
とはいえ、本が売られていれば、それが路面店であれショッピングモールの中のチェーン店であれ、普段は特に区別することも困ることもない。「町の小さな本屋さん」に対しての極端な信仰があるわけでもない。自然淘汰、という言葉の理解はちゃんとできている。小さな本屋さんがなくなったかわりに、駅前や郊外に大きな本屋さんがいくつもできた。それはそれで大歓迎だ。ただ、「思い立ったときにふらっと歩いていける町の本屋さんがあったらいいな」「散歩コースに本屋があったらいいのにな」とはいつも思っている。
というわけで、仕事場の近くのマンション跡地が本屋だったらいいなあ、と夢想せずにいられない。かつてそのマンションの1階にはスーパーマーケットが入っていて、ずいぶん賑わっていた。スーパーほどの広さとはいかないまでも、せめてその半分、いや4分の1の面積でもいいから、本屋さんが徒歩1分のその場所にできたら最高だ。
もしできるとしたら、どんな本屋だろう。想像してみる。更地に本屋を新築する、というのはさすがに事業としてリスキーだろうから、新しいマンションの1階にテナントとして入る、みたいなかたちが最も現実的だろうか。地元の中でも比較的地価の高いエリアだ。きっとその新しいマンションはやや高級志向の、シックでモダンな感じの外観になるのではないか。すると本屋さんもまた、ちょっと暗めの店内でスポットライトを多用するような、雰囲気重視のお店が合うかもしれない。
エントランスに観葉植物なんか置かれて、フロアの隅にはちょっとしたコーヒースタンドなんかもあったりして。店員さんはみんな白シャツでキメていて、ワンポイントのロゴだけが入ったダークブラウンとかネイビーとかのお揃いのシンプルなエプロンを着用している。住宅地の主婦層がメイン顧客なら、料理とかライフスタイル系の本が充実しそうだ。文芸はまあまあ標準的な品揃え、コミックスと学習参考書は少なめだろうか。いやいや、でも近くに小中学校も大学も短大もあるから、ティーンのニーズに応えなければやっていけないだろう。場所は最寄り駅と短大のあいだの通学路なので、若い女性は無視できないはずだ。雑誌やコミックスに押されて、文芸はそれほど充実しないかもしれない。でも構わない。仕事場から徒歩1分の場所で新刊だけでもチェックできれば、僕はそれで満足だ。できたら文芸の奥にエッセイコーナーがあって、そこにひっそりでいいから自分の本も並べてくれないかな。いや、勝手な想像とはいえ、それはさすがにわがままが過ぎるだろうか。えへへ。
仕事中に行き詰まったら、ふらりと出かけて、散歩がてらその本屋に入る。自動ドアが開き、一歩足を踏み入れれば、本の匂い。平日の昼間はきっとお客さんが少なくて静かだろう。癒やしっぽいチル系の音楽がうっすらかかっている。30分ほど店内を歩いて、文庫の新刊かなんかを一冊、買って帰る。そのうち店員さんと顔馴染みになって、「今日も暑いですね」なんて言われるようになる。「暑いから、つい入っちゃいます」あはは。えへへ。もちろん、相手は女性の店員さんである。20代後半から30代前半。愛嬌があって、笑顔が可愛い。いけない、妄想が膨らんでいく。だめだ。
「いつもありがとうございます。こないだお話した『女の園の星』、新刊が来月出ますよ」
「え、ほんとですか、やっとですね」
「待ってましたよね」
「じゃあAmazonで予約しないで、ここに買いに来ますね」
「はい、ぜひ。取り置きしておきましょうか?」
「いえ、大丈夫、発売日にまたちゃんと来ます」
「入荷は一日遅れですから、間違えないでくださいね」
「あはは、大丈夫です」
「私も買って読みます、うふふ」
「えへへ」
「ふふふ」
「でへへ」
昨日、マンション跡地の建設計画の噂を耳にした。どうやら高齢者向けの集合住宅になるらしい。本屋の噂は、どこにもない。
涼しくて甘い妄想は、あっというまに夏の空に溶けて消えた。
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BOOK INFORMATION
「本とともにある、なにげない日常」を、ちょっとしたユーモアで切り取る、本にまつわる脱力エッセイ『ちょっと本屋に行ってくる』シリーズの最新刊!『ちょっと本屋に行ってくる。2 ブック・タワーズ・メガシティ』6月13日発売。>>詳しくはこちら
藤田雅史『ちょっと本屋に行ってくる。2 ブック・タワーズ・メガシティ』
issuance刊/定価1,870円(税込)
