Essay
上下巻と本
#90|文・藤田雅史
本屋にふらりと立ち寄って、好きな作家の新刊を見つけたときの嬉しさは、本が好きな人ならきっと誰もが共感してくれるだろう。売場がその一角だけ輝いて見える。おおっ、と思わず声を上げそうになる。普段、本の刊行情報をネットで検索したり、出版社や作家のホームページをチェックしたり、そういうことはまったくしない。だからその出会いはいつも唐突なもので、余計に胸をときめかせる。
見つけた新刊は、もちろん、買う。家に読みかけの本があって今すぐは読み始められないとしても、「ま、どうせ買うんだから」と思って、買う。その購買行為は、それだけで一日分のカタルシスに匹敵するときもある。本を抱えて本屋を出るときの心持ちは、道端で偶然好きな人に会って、帰り道を一緒に歩ける、そんな幸福感に近い。好きな作家の新刊には、いつも小さな恋をしている。
ただときどき、例外的に買うのをためらってしまう場合もある。いや、買うのだ。買うことには買うのだ。でも迷う。どういうときに迷うかといえば、それまさに「上下巻で売られているとき」だ。上下巻の大長編小説を、上巻だけ買うか、あるいは上下巻セットで買うか。いつも迷う。
以前、母親と一緒に何かの用事で街に出かけ、ついでに本屋に立ち寄ったことがあった。僕が分厚い新刊小説の上巻だけを買おうとしたら、横から母が口を出した。「一緒に下巻も買っちゃえばいいじゃない。そうすれば二度も来ないでいいんだから。」効率を考えれば、至極真っ当な意見である。僕もまた、母の血を受け継いでいるので合理的な考え方を好む人間だ。「うん、まあそうね」と返事をし、下巻も一緒に手に取り直した。でも結局、その日は上巻だけを買って帰った。
なぜ上下巻をセットで買わなかったのか。おそらく悩む理由は次のふたつである。
(1)値段
上下巻を一緒に買うと、本の値段は倍になる。一冊1,800円の分厚い本を二冊同時に買うと税込でほぼ4,000円になるわけで、これが財布の中身を覗いたとき、少々心もとなかった。
(2)自信
もうひとつは、どちらかというと値段よりもこちらの方が大きな問題なのだけれど、大枚4,000円もはたいて「ちゃんと読み終わるのか」という、その自信と覚悟が試される点だ。好きな作家の作品なら、どんな大長編であろうと読みたいと思うし、読みきるつもりでいる。でも、もし、もし、もしも万が一、上巻が面白くなかったら……。その可能性は、たとえ好きな作家の作品であっても、ないとは言いきれない。作家というのは、急に作風を変えることがある生きものである。
買ったものの一度も手に取られることなく本棚に並ぶ「下巻」。その存在はまことに哀しい。好きな作家の作品であれば、なおさらに哀しい。上巻を読んでいる途中で、あ、これちょっと違うかも……と気づいてしまう瞬間の感情は、付き合っている恋人のことを考えて、(あ、自分はもう、この人のことそれほど好きじゃないかも……)と気づいてしまったときの、あのせつなさに近い。
(え、うそ。好きだよ。好きだって。うん、好きだよね?)自問自答がはじまる。(変わらず好きだよ。大事に思ってるよ。)(え、でもじゃあなんで今、こんなに気持ちが冷たくて乾いているの? 前みたいに熱いものがこみ上げてこないの? 別れを想像しても、もう胸が痛まないって、何? え、うそでしょ。)一度もページが開かれない下巻を手に、そんな気持ちになりたくない。(この作家の作品、ずっと好きなはずだったのに。ええー、どうしよう。全然読む気にならない!)
そんなときは気分を変えて、いっそ下巻から読みはじめてみる、というアクロバティックな本の楽しみ方もないわけではないが、さすがにそれは現実的ではない。そんなことをしたら今度は上巻が可哀想なことになってしまうし、下巻から読みはじめる読者の存在を知ったら大好きな作家先生も嫌な気持ちになるだろう。
というわけで、ひとまず上巻だけを買って読み、そして、
「やっぱりこの人の作品大好き! 早く続きが読みたい!」
そんな気持ちで下巻を買いに行きたい。
人も本も、ちょっとした非効率が、恋をうまく続ける秘訣である。
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BOOK INFORMATION
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藤田雅史『ちょっと本屋に行ってくる。2 ブック・タワーズ・メガシティ』
issuance刊/定価1,870円(税込)
