Essay
雨と本
#91|文・藤田雅史
冬がやってきた。寒い。このところ年々、寒さに弱くなっている。僕が住んでいる海辺の町は、師走に入ると天気がしぐれて、雨の日が多くなる。灰色の雲が空を覆い、強い風が吹く。夜中に雪おろしの雷が鳴るといよいよ本格的な冬の到来だ。タイヤ交換を急がなくては。
「晴耕雨読」という言葉がある。晴れた日は畑を耕し、雨の日はおとなしく家の中で本を読む、つまり、自然の流れに合わせて生活しよう、世事に流されずマイペースで生きようということなのだけれど、たしかに、天気の悪いときは「家にこもって読書とかいいっすよね、最高ですよね」と思う。家の中に閉じこもることと、本を読むことは、まことに相性がいい。
しかし、「雨の日の本」はよくても、「雨の日の本屋」はちょっと微妙かもしれない。以前、「買った本を濡らしてしまうかもしれないと思うと、本屋で本を買う気になれない」と言った友人がいた。二の足を踏む気持ちはよくわかる。紙でできている本に、水はいけない。
僕の場合は、自分が買った本を濡らす心配よりも、お店に並んでいる本をうっかり濡らしてしまう心配の方が大きい。雨の日は当然傘を持ち歩いている。お店に入るとき入口の傘立てに傘を立てればいいのだろうけれど、盗まれるのが心配で、傘はできるだけ自分で持ち歩きたい派だ。あるいは店の入口によく用意されている細長い筒状のビニール袋に傘を入れればいいのかもしれない。でもすべての本屋にそれが設置されているわけではないし、あの薄い傘袋に濡れた傘をきれいに収めるのはけっこう面倒くさい。傘がぐっしょり濡れているときや先端から雨が滴っているようなときはさすがに使うけれど、それほど濡れていなければ、バサバサと傘を振って雨粒を落とし、留め具で留めて、そのまま店内に持ち込むこともある。
そういうとき、売場を歩きながら、傘の雨粒が平台に積まれた本を濡らしてしまわないか気になってしょうがない。傘だけじゃない、撥水加工のダウンコートから、雨粒が文字通り撥水されて本を濡らす、ということもあり得る。買い物帰りで他にも手荷物があるときなんか、傘は本当に邪魔である。傘で手がふさがっていると、立ち読みもままならない。せっかく本屋に入っても、いろいろと小さな不安やストレスがつきまとう。
とはいえ、じゃあ雨の日は本屋に行くのをやめるのかといえば、本屋がそこにあったら、雨だろうが雪だろうが、つい吸い寄せられるように入ってしまう性分である。若い時分、僕は「できるだけ傘を持ち歩かない」をモットーにしていた。「ロンドンっ子は多少の雨じゃ傘なんて差さない」とどこかで聞いて、ほう、ならば自分も、と、別にロンドンに縁もゆかりもないのだけれど、なぜかロンドンっ子を気取っていた。ロンドンっ子は、多少の雨くらい気にせず本屋に入る。そんな気がした。天気なんて関係なく、欲しい本があれば本屋で本を買っているはずだ。(そもそも「ロンドンっ子」という言葉が実際に存在するのかどうか、よくわからないけれど。)
最近はどこへ行くにも車での移動がほとんどなので、雨の日の買い物はそれほど苦ではない。駐車場の、車を駐めた位置から本屋の入り口まで、ちょっと走れば、すぐ、ほんの数十秒である。わざわざその数十秒のために傘は持ったりはしない。濡れた傘を本屋に持ち込むくらいなら、自分の服をちょっと濡らすほうがいい。やはりまだ、歳を重ねても自分の中にかつてのロンドンっ子気質は残っている。ロンドン、住んだことないけど。
ところで、家を出るときはそれほど降っていなかったのに、本を買って店を出たら本降りに変わっていた、ということはよくある。本屋ではついつい長居をしてしまうから仕方がない。店を出て、入口の庇の下で(うわー、雨だなー)と一度足を止める。手には買ったばかりの本。(こりゃまいったなあ)と思いながら、車を駐めた場所を確認し、パーカーやセーター、コートの内側に、お腹をおさえるみたいな格好で背を丸め、本を隠す。そして、えいっ、と走る。服が濡れる。靴が濡れる。髪も濡れる。でも、本だけは濡らさない。
雨の日は、お腹に本を隠して走る。はたしてロンドンっ子もそんな走り方をするだろうか。
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BOOK INFORMATION
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藤田雅史『ちょっと本屋に行ってくる。2 ブック・タワーズ・メガシティ』
issuance刊/定価1,870円(税込)
