Essay
人間関係と本
#94|文・藤田雅史
エッセイや随筆は、そのほとんどが、作者が自分自身の身のまわりのことを書くことで成り立つ文章表現である。小説との決定的な違いは、それが虚構か、それとも現実か、というところにある。
そこにはしばしば、書き手以外の人間が登場する。現実の世界だから、それは実在の人物である場合がほとんどだ。家族、友人、知り合い、仕事仲間や先輩後輩、近所の人、あるいは偶然出会った誰か。彼ら彼女らは、テーマやモチーフの一部、つまり「ネタ」になる。
自分でもエッセイを書くようになり、それが人の目に触れるようになり、本にもなり、ときどき原稿に向き合いながら思うことがある。
この人のこと、勝手に書いていいんだろうか。
「あのさー、これって私のことだよね?」
そんなふうに言われたら、気まずい原稿もなかにはある。というか、面白いから、おかしいから、腹が立つから、批判したいから、そんなふうにネタになるから原稿に書くのであって、むしろ指摘されたら気まずい場合のほうが圧倒的に多い。
よく、「Sさん」「Y氏」のように、アルファベットの頭文字を使って、固有名詞ではないかたちで書く。こうすれば少なくとも一般読者にはどこの誰か特定されないから、最低限のマナーとして、相手に迷惑をかけずに済む。佐藤さんのことを「Sさん」ではなく「Aさん」と書いても、別段、問題はあるまい。小さな嘘を、人は「配慮」と呼ぶ。
ただ、これがどんな表現でも代用できない関係の人物となると、話は少しややこしい。例えば家族。「親戚」くらいなら対象が広いので匿名性を保てるものの、「父」「母」となると、それはもうこの世にひとりずつしかいない。極めて限定的だ。親についてのネタをエッセイに書くということは、書き手の親(特定の人間)がどういう人物か、世の中にストレートに公表することになる。それは公表される側にとっては、公表というよりもはや「暴露」だろう。
「犯罪歴のある私の父は、歯周病で息がくさい」とうっかり原稿に書き、それが活字になって発表されてしまったが最後、その人の父親は、読者の記憶の中で一生「凄まじい口臭を持つ罪人」であり続ける。これは当人にとって由々しき事態だ。犯罪歴、というのが実は作者の誇張で、実際はちょっとした罰金刑程度であっても、道路交通法違反程度の行政処分であっても、以降、彼は世の中から、重罪によって投獄された過去を持つ、へたをしたら人を傷つけ殺めた極悪人のように見られることになってしまう。(※本人注:僕の父に犯罪歴はない。きれい好きで、きつい口臭を感じたこともない。)
若いとき交通違反で免停になったことがあり、仕事が忙しくてしばらく歯医者に通うのをサボっていただけなのに、知らぬ間にそんなふうに勝手に書かれていたら、その父親は絶対こう言うだろう。
「頼むから、二度と俺のことを書くのはやめてくれ」
家族からそんなふうに懇願されて、家族をネタにできずに(面白いエピソードがいっぱいあるのに!)困っているエッセイストというのは、結構いるのではないか。
「私をエッセイに書いたら、即離婚するから」
「俺のことを書いたらもう絶対洗濯物干さないからな」
「書くなら原稿料よこせ」
かくいう僕も、エッセイの中で、これまで息子と娘のことを何度も書いてきた。子どもというのは、日常生活のちょっとした世間話でもそうだが、まことに話題にしやすい。子どもという存在自体が、そもそも社会の一般常識の範囲外にある、面白おかしい突飛な存在だったりするわけで、生きているだけでエピソードの宝庫なのだ。ネタに困ったら子どもネタ、というのはもはや子育て中の物書きの鉄板、締め切り間際の最後の砦のようなものではないか。
子どもだと都合がいいのは、幼ければ幼いほど、本人は文章が読めないというのもある。何を書かれても読めなければ恥ずかしさを感じない。だからそれによって親が恨まれることも(少なくともその時点では)ない。こんなこと言ったらなんだけど、「とても便利なアイテム」なのである。
しかし我が家の場合、息子は中学生になり、娘もそろそろお年頃になろうとしている。そろそろ、やめてくれ、と言われるかもしれない。いや、内心はすでにそう思っているのかもしれない。いい加減にしてくれよ、またかよ、と。
原稿に堂々と身のまわりの人たちを登場させ書き殴っている、エッセイストの皆さんは、そのへん、どうしているのだろう。家族に恨まれ、周囲と気まずくなり、あるいは逆に予想に反して大いに喜ばれたり、いろいろ、悲喜交々、あるのではないだろうか。「義父のめっちゃ面白いエピソードがあって、これめっちゃ書きたいんだけど、書いたら絶対傑作になって本が売れるんだけど、もし書いたことがバレたら機嫌を損ねて、出してもらえるはずの住宅ローンの頭金を出してくれなくなるかもしれない……」そんな理由で貴重なネタを泣く泣く捨てる作家先生もいるに違いない。
よくコミックエッセイの作家さんが、本名ではなくペンネームを使って作品を発表することが多いのも、例えば退職したブラック企業の内情をマンガで暴露したいけど恨まれたり後からクレームをつけられたら怖いから、私のプライバシーだけはなんとしても守らねば、という単純な理由だったりするのではないか。
そんな作品の裏側に広がる人間関係を妄想しながら、邪推しながら、エッセイを読む。そんな本の楽しみ方も、ちょっと面白い。作家だって、人間だもの。きっと、いろいろあるさ。
そう思えば、エッセイは読み方次第で、読者の頭の中で小説にもなりうる。
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BOOK INFORMATION
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