Essay
駐車券と本
#02|文・藤田雅史
豊かさとは何か。それはこの世に生きている以上、ずっとつきまとう疑問である。経済的な豊かさ。生活の質という意味での豊かさ。心の豊かさ。豊かさといってもいろいろあるし、その基準はひとりひとり異なるのだろうけれど、個人的には「いつも読みたい本を買える経済状況下にある」というのを、豊かさのひとつの指針と考えている。好きな本を自由に買えるお金の余裕は、少なくとも、文化的な最低限度の生活が保証されている、ということになりはしないか。
ところで、車を所有せず移動手段はもっぱら電車やバスという都会暮らしの方はぴんとこないかもしれないけれど、地方は基本的に車社会なので、どこへ行くにも駐車料金がかかる。当然、本を買いに行くにもお金がかかる。無料の駐車場を完備した郊外型の書店ももちろんあるが、繁華街の書店の場合はビルのワンフロアにテナントとして入っていることが多いので「お客様専用駐車場」のようなものはなく、本の商品代金とは別に駐車料金が必要になる。
我が家から車で15分。N駅に隣接するJ書店は、店舗の入っているビルの地下駐車場を利用すると30分200円の駐車料金がかかる。全国大手のそのお店は県下最大級というだけあって品揃えがとても豊富で、日頃通い詰めている(駐車場無料の)郊外型の書店では見つけられないような本も、だいたいが手に入る。地方で暮らしながらAmazonに頼らず本探しができるのはすこぶる便利で、とてもありがたい。とはいえやはり30分200円というのが足枷になって、なかなか通い詰めるわけにはいかない。
ただ、必ずしも駐車料金がかかるというわけではない。「3,000円のお買物で1時間無料」。30分200円だから入庫から1時間で400円分の駐車料金がタダになる。このサービスを使わない手はない。電車やバスを利用してもどうせそのくらいの交通費がかかるのだからそのくらいケチらなくても、と思われる向きもあるかもしれないが、400円という金額は書店に一歩足を踏み入れた途端、「そのくらい」の価値ではなくなる。
400円といえば新潮文庫の芥川龍之介「羅生門・鼻」が税込400円ポッキリで買える。太宰の「人間失格」なら新潮でも角川でも買えるどころかお釣りがくる。400円に数十円足せばマンガだって買える。そのように「換算」して考えると、400円という駐車料金は、たかが400円ではあるがされど400円。文学の400円は数分で飲み干すカフェラテ1杯400円とはわけが違うのである。ただ車を1時間そこに置いておくだけで、芥川の短編8本と同じ価値が自動的に財布から失われるなんて、こんな非生産的な支払いがあるだろうか。いやない。ものすごくもったいなく感じる。憤りすら感じる。駐車料金など払ってなるものか。そして結局、毎回「3,000円以上のお買物」をせざるを得なくなる。少しだけハメられているような気もしないではないが、同じ400円なら駐車料金として支払うよりも文庫本代として支払いたいという気持ちは変わらない。
困るのは、例えば買いたい本や雑誌を何冊か選んだとき、合計が2,800円とか、中途半端に足りないときだ。あと200円。といっても200円の本など都合よく売っていない(あったとしても読みたい本でない可能性が高い)。これが入庫から20分とか30分ならまだ時間の余裕があるので、文庫本や雑誌のコーナーをゆっくりと歩いて選ぶことができる。しかし1時間というタイムリミットは長いようで短く、残り20分をきると少し焦りはじめる。そしてこういうときに限って読みたい本がなかなか見つからない。好きな作家の棚を見ても、全部すでに所有しているものばかり。そういや確か前から気になっていた本があった気がする…と必死に思い出そうとするが、探し物の常で、こういうときは思い出そうとすればするほど深みにはまって思い出せない。残り時間が15分くらいになると、もう冷静な判断ができなくなる。レジで購入し駐車場に戻る時間を考えれば、遅くとも10分前には本を決めなければならない。もちろん本ならなんでもいいということはなく、読みたい本を買いたい。かといって、いくら読みたい本であっても400円をケチるために1,000円以上のお金を使わされるのはなんだか馬鹿馬鹿しい。やばいやばい早く決めなきゃ。早く買わなきゃ。入庫から1時間が経過したら駐車料金は600円に跳ね上がるわけで、400円分が無料でも200円を支払わなければならない。それだけはなんとしても避けたい。この段階になると、棚から本を手にとっても立ち読みしたり裏表紙のあらすじを読んだりしてまともに選ぶ余裕などない。あーもうしょうがない、こうなったらさらっと読めそうなエッセイでも買うか。いやでも雑誌にするか。あっ、レジに列ができてる。早くしなくちゃ。うーん、もうこれでいいや。そんな感じで、文庫の棚に平積みになっている薄い小説を手に取る。読んだことのない作家だけど、ベストセラーだからきっと面白いはず。帯には誰かが大絶賛と書いてある。何かの賞もとっている。時間を確かめる。あと9分。もうこれを買うしかない。本を抱えて小走りでレジに向かう。いらっしゃいませカバーをおかけする本はありますか?と店員さんが言い終わらぬうちに、ないですと即答する。当店のポイントカードはお持。ないです。駐車券のご利。ない…あ、ありますありますすいませんお願いします。そして買った本をビニール製の袋に提げてシャカシャカ音をたてながら駐車場へと駆け戻る。あと3分。エレベーターを待つのがもどかしくて階段を駆け下りる。クルマに乗り込みキーを回したと同時に発進。おいおいおいおい前の車、もたもたしてんじゃないよ。悪態をつきながらじりじりと車を進ませ、なんとか間に合って無事に駐車場を脱出する。ふう。駐車場のバーをくぐって道に出た途端、なんだか少しだけ勝ち誇ったような気分になる。
ちなみにその駐車場は、「3,000円のお買い物」で1時間無料だが、「6,000円のお買い物」だと2時間無料になる。残り時間を気にしながら慌てて本を買い足すのとは反対に、あらかじめ写真集や大型本、事典など高価な本を買うと決まっているときは、2時間たっぷりと書店のなかを優雅に過ごせる。1時間半くらいかけてゆっくりと気になる棚を眺め、ときどき立ち読みをし、それに飽きたらおもむろにレジに向かって悠然と店を出る。やっぱり贅沢っていいな、と思う。
ところで、「読んだことのない作家だけどベストセラーだからきっと面白いはず」と思って買い足したベストセラー小説の文庫。帰宅するとまったく同じ作品のハードカバーが本棚に並んでいるのがよくあるオチで、そしてやはり、結局、読まなかったりする。焦って欲しくもない本を買うくらいなら、素直に駐車料金400円を支払った方がましな場合もある。
改めて思う。豊かさとは、本を買いに出かけてお金に振り回されないことだ。
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