Essay
謎の現象と本
#04|文・藤田雅史
この連載エッセイのテーマは本だ。本にまつわる話題を綴ってほしい、という依頼を受けて書いている。
本について、というくらいだから、そのオーダーには、インテリジェントな内容のエッセイを、という発注者の意図が含まれている(ような気がする)。読めば知的好奇心が刺激されるような、新しい人生の発見が待っているような。だから期待に応えるべく、知的で高尚なことを書きたいと思った。読めば知的好奇心が刺激されるような、新しい人生の発見が待っているような。でも書けない。そこで考えた。本の世界に飛び込もう。もっと本に囲まれよう。
具体的には、本屋に行った。近所の郊外型大型書店だ。本屋は素晴らしかった。何が素晴らしいって、冷房が効いていて涼しかった。気温35℃を越える夏の暑い日だったから、なんかもうそれだけで十分に満足してしまった。知的好奇心も人生の新しい発見もとりあえず横に置いておいて、ちょっと今月の『競馬最強の法則』でも立ち読みしよう。そう思って棚を歩きながら、あることに気づいた。本にまつわる不思議。永遠のミステリー。
本屋で本を選んでいると、急に便意をもよおすのはなぜだろう。
子どもの頃から、本屋に行くと何回かに一度はきまってお腹の調子が悪くなった。紀伊國屋でもジュンク堂でも、商店街の小さな本屋でも古本屋でも、TSUTAYAでも。こんなのは自分だけかと思っていた。だから家に帰ってネットで検索してびっくりした。
「青木まり子現象」。すでに名前がついていた。Wikipediaでは、詳細きわまる解説がなされていた。本のインクや紙に含まれる化学物質が人体を刺激し、便意を誘発するという説、立ち読みの姿勢や書名を目で追う視線の動きが体調を変化させるという説、条件反射説、精神状態の変調説、クーラーの効き過ぎ説など、発症の原因が諸説並んでいて、なかには製紙業界の陰謀論というのまである。自分だけの問題ではなかった。ある調査によると、国内で1000人からアンケートをとったところ、4人に1人はこの症状を経験したことがあるという。むちゃくちゃメジャーな現象じゃないか。
なぜ本屋に行くと突如便意がこみ上げてくるのか。それについて、何かしらの見解を述べるつもりはない。というか何の考えもない。しいて言うなら、歩きながら本の表紙や背表紙を目で追うことに集中する、あるいは本を手に取るために腰をかがめる、その行動と姿勢が、腸の蠕動運動を促すのではないか、と思うのだ(僕の場合、同様の現象がレンタルDVD店でも起こるからだ)が、もちろん根拠というかエビデンス的なものは持ち合わせていない。
問題なのはそこじゃない。便意には前段階的な生理現象がある。おならだ。本屋でおならをしたくなったとき、どうすればよいのか。
放屁しない、という選択肢が身体構造上可能ならば、それにこしたことはない。腸内にガスをためたままぐっとこらえていればよいし、トイレが近くにあればその中でガス抜きをすればよい。
しかしどうしても我慢できないときもある。周囲に客がいなければ、その場でこっそり肛門括約筋を緩め、音が出ないように慎重に放出するのは致し方ないことだ、と思う。推奨しているのではない。そのあと通路を歩く客の迷惑を想像するとまさに断腸の思いだが、出るものは出るのだからしょうがないだろう。ダイバーが海中におしっこを垂れ流すのと一緒だ。
ただ、店が混んでいたり、周囲に他の客がいる場合は別だ。迷惑をかけたくないし、「うわ、こいつくっせ」という白い目で見られたくないので、その場ではさすがにできない。
まず本を探しているふりをしながら、誰もいない棚と棚のあいだに移動する。例えば文庫棚の奥のほう。だいたいにおいて、50音順の最後のほう、「わ」の作者が並んでいるあたりは人が少ない。よしもとばなな、渡辺淳一、綿矢りさ、そのあたりだ。オムニバスの短編集や海外小説、官能小説、ちくま文庫などが端に追いやられて並んでいることもある。学習参考書、辞典のあたりも人が少なく、穴場だ。大きい書店なら、自然科学とか理工系、思想哲学の小難しそうなあたりもいい。そのあたりは若い女性の往来がほとんどない。もしも全体的に混み合っている狭い本屋だったら、最終手段として、おならに頓着のなさそうな見た目のむっさい男たちが集まっているところに紛れ込むのもひとつの手だ。くさい!と感じても、誰が犯人か、容疑者が多すぎてわからない、みたいな。木は森に隠せ、である。カー雑誌やホビー雑誌、誰が買うのかわからないような特殊な趣味の雑誌のあたりがいいだろう。『ギャンブル法典』や『裏モノJAPAN』がささっている付近が適している。同じように、児童書コーナーなら子どもに罪を押しつけられる。絵本の付近は胸が痛むが、『めばえ』『たのしい幼稚園』『てれびくん』といったガチャガチャとした表紙が並ぶ棚の前なら罪悪感もいくらか軽減できる。無邪気でいたいけな子どものおならに対しては、みんな寛大だろう。
と、ここまで書いてきて、でもそれ人としてどうなんだ、まるでちょっとした犯罪者の思考じゃないか、と思いはじめたので、このへんでやめておくことにします。
最後に、全国の本屋さんにお願いを。本屋さんを訪れて便意をもよおすという現象は一般的、普遍的、不可避的なことなので、ぜひ、なにとぞ、積極的に駆け込みたくなるような、ウォシュレットの完備された清潔なトイレをお願いします。
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