Essay
新幹線と本
#07|文・藤田雅史
東京に出かける用事があり、新幹線の中でこの原稿を書いている。新幹線が好きだ。速いからか、形がカッコいいからか、あるいは遠くに行けるからか、理由はよくわからない。おそらくいろんな要素が絡まり合っての、好き、だと思う。
やはり窓際がいい。今も窓際に座っている。ちなみに座席番号は11E。間違いなく、車窓の景色も新幹線の魅力のひとつだ。リクライニングを軽く倒し、ぼんやりとシートにもたれているだけで、都会のビル群や住宅地の屋根、田園風景、集落、山や渓谷など、風景の移ろいを楽しめる。遠くの山々の冠雪に冬の訪れを感じつつペットボトルの茶なぞを口に含み、「トランヴェール」をぱらぱらめくって沢木耕太郎とか角田光代とかの割と品のよいエッセイに目を通し、通販の冊子もチラ見しつつ、今度は信号待ちをしているミニカーほどの車の列を目にとめながら物思いに耽る。贅沢な、いい時間だなあと心から思う。
ところが、世の中(というか新幹線の中)には反対に、車窓の景色になぞ何の興味もない、という人びともいる。彼ら彼女らは、窓側の席が空いていても好んで廊下側のシートに座り、よだれを垂らしながら乗車時間のほぼすべてを眠って過ごし、ちょっと日差しが眩しいからと眉をひそめてはブラインドを窓の最下部までシャーッと勢いよく下ろしたりする。車窓大好き人間としてはどれもにわかに信じがたく理解しがたい光景だが、一刻も早くホームに出たい人、眠い人、太陽光がうざいと思う人、その他、ゲームをしたい人、仕事をしたい人、受験勉強に余念のない人など、新幹線の車内での過ごし方の好みは人それぞれ。かくいう自分も、車窓を眺めているだけがすべてじゃない。
トンネル。よく利用している新幹線は、これがけっこう長くてうざい。車窓大好き人間にとってのトンネルは、憎悪の対象だ。「トンネルを抜けたらそこは雪国」的な、演出効果としてのそれは評価するけれど、基本的にトンネルはうんざりする。窓に映るのは無。もしくは、うっすらとした自分の顔。そんなもの見たくない。スマホの電波が届かないのでネットに接続することもできない。
そこで、本だ。車窓を眺める時間も好きだが、新幹線で本を読む時間も好きだ。トンネルを走行しているとき、混雑のあまり3人席の真ん中で身を縮めて過ごすとき、満席でデッキに出るしかないときなど、人いきれで暑苦しくむんむんした閉塞的で不快な空間から、本は意識を別の世界に連れて行ってくれる。解放してくれる。車窓の景色が望めない夜間や大雨の日でも、あるいは二階建て車両の一階席に座るしかないときでも、本があれば退屈せずに済む。そもそも新幹線と本は相性がよい。新幹線ホームの売店にはたいてい雑誌や新聞の他に文庫本の一角があり、そこには定番の旅情サスペンスをはじめ、宮部みゆきや東野圭吾などのミステリー、ひまつぶしにちょうどよさそうなビジネス系や雑学系の文庫、ベストセラーの文庫新刊、あとは官能小説などが、いつもお決まりのラインナップで並んでいる。
新幹線の中で読んだ本というのはけっこう記憶しているものだ。20歳の大晦日、東京から地元に帰省する乗車率120%超の新幹線で、デッキに座り込んで読んだのは浅田次郎の「天国からの百マイル」だった。読み終わり、ドアの窓から懐かしい故郷の景色を眺めながら泣きそうになったのをよく覚えている。たしか絲山秋子の「沖で待つ」、山崎ナオコーラの「人のセックスを笑うな」、津村記久子の「アレグリアとは仕事ができない」といった当時好きだった小説も、新幹線で読むために東京駅の本屋で買い、そして新幹線で読み終えた。
最近では、ビジネス書や実用書、自己啓発本や健康本みたいなものを一冊用意して、新幹線が出発してから読みはじめ、ちょうど車中で読み終わり、目的地に着いた頃にはそれまで知らなかった何かをちょっとだけ学習している、というのが、旅にいいリズムをもたらしてくれると気づいたので実践している。例えば、長生きをするための食事習慣について、とか、怒りをコントロールする方法、とか、そういうやつ(なんかこうやって書くとつまらないものを読んでいる…しかも旅から帰ると内容はほとんど忘れて、糖質をどか食いしたり、些細なことにぷんぷん腹を立ててばかりいる)。
そういえば学生の頃、新幹線の中で江國香織の小説を読んでいたら、隣に座っていた見知らぬ初老のご婦人から声をかけられたことがあった。
「平易なのに素敵な文章を書くわよね」
「あ、はい、そうですね」
「私もたまに読むの」
黒いタートルネックのニットに身を包み、適度な軽さでにっこりと微笑むその女性はとても上品で洗練されていて、まるで江國香織の小説の世界に出てくる登場人物のようだった。話しかけられたことでなぜか急に自分が恥ずかしくなって、それからは文字を追っても内容がほとんど頭に入ってこなかったけれど、なんだか、本を読むことのささやかな幸せを感じられて嬉しかった。
さて、トンネルを抜けたので、原稿書きはこのへんでおしまい。角丸の四角形で切り取られた空はきれいに晴れているから、どうやら本を開く必要はなさそうだ。
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