Essay
ブックカフェと本
#08|文・藤田雅史
もやっとすることがある。なんだかな、というか、うーんそれってどうなの?というか。このエッセイは、本屋さんに対していちゃもんをつけてはいけないことになっているような気がするが、ええいままよ、どうにも腑に落ちぬのだ。ブックカフェ、正確にはカフェ併設書店のことだ。
本屋が好きだし、カフェで休憩したり仕事したりするのも好きだから、カフェ併設の書店というのは個人的にとても素晴らしい施設だと思っている。カフェでお茶を飲みながらノートPC相手にちゃちゃっと仕事して、気分転換に本屋をぶらぶらして、気に入った本を買って、気持ちよく帰る。いい時間の過ごし方だと思う。でも、もやっとすることがある。なんだかな、と思う。
『当店はご購入前の本の持込が可能です』
これだ。本の売り場から未購入の本をカフェに持ち込み、コーヒーを飲みながら、あるいは軽食をとりながらそれを読み、読み終わったらその本をまた売り場に戻していいという、ここ数年で増えたこの仕組みだ。
僕のよく行くカフェ併設書店では、このサービスを利用してカフェで読書している客の姿がけっこう目につく。あまりお金のなさそうな学生がストリート系のファッション誌を持ち込んでいたり、スーツに身を固めたビジネスマンがビジネス書を数冊テーブルに重ねていたり、仕事をリタイアしたおじいちゃんが写真週刊誌のグラビアに顔を近づけていたりする。仲良しのママ友が「るるぶ東北」と「まっぷる東北」を見比べながら「ここ行きたくない?」「行きたーい!」「これ食べたくない?」「食べたーい!」「え、これやばくない?」「やばーい!」と赤子をあやしつつケーキを食べつつ旅行の相談をしている場面もこないだ目にした。
自分だったら、未精算の本をカフェに持ち込んでまでして読みたいとは思わない。安心して読めないからだ。コーヒーや食べ物のかすで汚してしまうかもしれないし、だいたい本や雑誌を一冊読めば、指でページをめくった分だけ紙は確実に劣化する。「新品」ではなくなる。そんな本をしれっと棚に戻す? いくらなんでもそれはできない。やりたくない。本屋や作者から、お金も払わず本の中身だけ掠め取るような、そんな罪悪感もある。
とはいえ、それはあくまで僕の個人的な気持ちであって、「別に本屋がいいって言ってんだから平気平気、お気に入りの雑誌は毎月そうやってカフェで読んでるよー」みたいな人はけっこうたくさんいて、彼ら彼女らは喜んで売り場から本や雑誌を持込み、楽しみ、そして返却のために売り場に戻っていく(さらに別の本を持って席に戻ってくることもある。前述のママ友は「るるぶ」と「まっぷる」を返却して「ことりっぷ」を新たに持ってきた)。その行動を責める気はまったくない。批判するつもりもない。だって本屋がいいって言ってんだから。
なんだかな、と思うのは本屋に対してだ。カフェで誰かが一度読み終わった本。それはもう、古本ではないのか? 本屋が古本屋だったら、もやっとすることはない。古本を売っているんだから、カフェだろうとどこだろうと、すでに何度も読み込まれ劣化していることが前提だ。でも「新品の本」を売っている本屋が、「誰かが読み終わった本」を「新品」として平気な顔で販売していることに、どうしても解せないものを感じる。なんかこう、誰かが買って一日だけ着用したTシャツを、「え〜、一日くらいならまだ新品っしょ、汗かいてないし」とか言って売り場に戻されているみたいな。「そんなんで文句言うなんて、お客さんアレっすね、潔癖っすね 笑」と馬鹿にされているみたいな。
例えば、カフェで読まれた未精算の本の返却は一カ所にまとめられ、店員が検品をしてから棚に戻すとか、あるいは古本として販売したりするというのなら、まだわかる。でも、読み終わった本を利用者が自分で棚に戻す仕組みは、「汚れ」の判断をその利用者に丸投げしているわけで、普通に本屋を利用しただけの人が不快な思いをする可能性を、店側が容認しているということだ。
「いやー、でもそれね、結局は立ち読みと同じなんですよ。立ち読みだって汚れるときは汚れるし、だけどそれを新品として皆さん買っていかれるじゃないですか」とカフェ持込OKの本屋の人は言うだろう。確かに、棚から本を抜いてその場でざっと読んでまた棚に戻すのと、棚から本を抜いてカフェでざっと読んでまた棚に戻すのとは、本の劣化の可能性という点では同じかもしれない。「立ち読みを禁止したらぶーぶー文句言うくせに、何言ってるんですか」と面倒くさい顔をするだろう。でも、売り場というパブリックスペースで、買うか買わないか内容を判断するために手に取られた本と、カフェの座席という飲食可能なプライベート空間で「買わずに堂々と読めてラッキー!」という気持ちで読まれた本は、やっぱり違う気がする。
それを思うとき、本の価値、というものの変化を感じずにいられない。糊のきいたシャツのようにピシッとしているまだ誰にも読まれていない一冊の本、そこに価値を見い出す人が少なくなっているのかもしれない。なんだかな、と思ってしまう自分は、もう古い価値観に囚われた古いタイプの人間なのだろうか。
ネットで本を買う人の割合がどんどん増えて、本屋に人が来なくなったという。せめてお店に足を運んでもらうために、売り場の商品に「カフェ持込OK」の付加価値を提供するのは、アイディアとしては面白い。そのサービスを喜ぶ人もいっぱいいる。
でもね、やっぱり、新しい本を買って家に帰って、その小口が誰かの指の形にたわんでいたり、カバーに濡れた形跡があったりしたら、なんだかなー、と思ってしまうのですよ。だったらネットでいいじゃん、と思ってしまうのは、やっぱりさびしいのですよ。
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