Essay
ビニールと本
#09|文・藤田雅史
先月のこのエッセイで「カフェ併設書店」のことを書いた。売場の本をカフェに持ち込み、読んでまた売場に戻してよいという、ここ数年で増えたシステムについてだ。カフェで読み終えた本が「新品」としてしれっとした顔で販売されることに、納得できないものを感じる、と。
しつこく補足するなら、カフェ持込可のシステムは立ち読みの完全容認だ。「立ち読みしたい方、どうぞこちらのソファにお座りになってごゆっくりお読みください」という、いわば「立ち読みの解放宣言」。けして好きではない。だけど実は、そこにちょっと清々しいものを感じている。「本買わなくてもいいからコーヒー飲みにおいでよ!」「ついでにそこの本、よかったら読んじゃっていいよ!」「気に入らなかったら買わなくて全然大丈夫だから!」というそのスタンスは、人に例えるなら、陽気で楽しい人、寛大で度量の広い人、オープンでウェルカムな好人物を連想させる。悪いやつじゃないんだよな、と思う。だから結局もやもやしながらもその本屋さんを利用する。
今回はその逆について書きたい。逆といっても、「飲食物を本の売場に持込可」という意味不明なサービスではない。「立ち読み断固お断り」についてだ。
シュリンク。あの、マンガの単行本を包んでいるビニールを、シュリンクというらしい(ちなみにシュリンプは海老だ)。あれが嫌いだ。中を読みたい。なのに読めない。あのもどかしさは誰でも経験済みだと思う。読むことはできないくせに、上部は開いてて、本体にはさまれたスリップがちゃんと引き抜けるようになっているところがまた憎たらしい。あのビニールが立ち読みを防止し、商品を保護するために必要なのはもちろん理解できる。特にマンガ本はあっという間に読み終えることができるので、「買わずに全部読む」という不届き者もいるのだろう。でも単純に思うのですよ。中身がわからなきゃ、買いたくても買えないじゃないか。
普段マンガを買わないので、マンガの売場でイラッとする。表紙を見てこれ面白そうだなと思っても、中身が確認できないから買えない。写真集もそうだ。この写真集よさそうだなーと手にとっても、ビニールが断固、そのよさの確認を拒否する。スイカも中身がわからない。外皮だけでは判断できない。家の台所で切ってみなければわからない。でも本と決定的に違うのは、スイカの味はどんなものか、みんながだいたい知ってるという前提があるからだ。本は開いてみなくちゃわからない。つまりあのビニールに包まれたマンガは「一見さんお断り」マンガなのだ。どんなマンガかすでに知ってるひとだけが買っていくもの。いいのかそれで。新規顧客は開拓しなくていいのか。
コンビニには、雑誌・本のコーナーのすべてに立ち読み防止テープを貼っている店もある。ガラス窓のそばのあれだけ目立つところに雑誌コーナーを設置しておきながら、商品の中身の確認は断固拒否するという頑なさに、立ち読みする気がなくても不快なものを感じる。そういえば以前、インテリアショップでも同じイライラを体験した。売場のソファにこういう注意書きがある。「商品には座らないでください」。なんですと。座り心地を確かめずにソファを買えと? 商品が汚れると困る、という気持ちも分かるけれど、そういう「ダメ絶対」と拒絶する方針には何か陰気で閉塞的なものを感じる。
「あのね、あのビニールは『中が見たいんで外してください』って店員さんに言えばいいんだよ、そしたら外してくれるよ」と、人は言う。しかし、外してもらったら買わないと悪いじゃないか。例えば本10冊のビニールをビリビリやぶいてもらって、「うーん、やっぱピンとこないんで全部買いません」では、対応してくれた店員さんの機嫌を損ねそうでおちおちページもめくれない。ある程度もうこれを買おうと8〜9割決めていて、いちおう中身を確認したくて外してもらうことはある。でもそうじゃないんだ。もっとライトな感覚で、ナチュラルにいろんな本をぺらぺらっとめくって、面白いのないかなーと検討したいんだっ。
ビニールに限らず、紐、テープ、帯など、立ち読み防止の方法はいろいろあるけれど、どうせならイライラする前に「おおっ、そうきたか!」と思わず感心するような立ち読み防止策に出会ってみたいと思う。「わかった、もう二度と立ち読みなんてしない。俺が悪かった。すまん、許してくれ」と言いたくなるような。例えばこうだ。
本に触れると電流が流れる。ピリッとくる。あるいは、ビリビリッとくる。虫も動物も人間も、退治するならやっぱり電流だ。
本に手が届かない。ものすごく高いところに本が並んでいて、立ち読みしたくても触れない。買うときは店員さんに頼んで、ハシゴかマジックハンドで取ってもらう。その場ジャンプだったらもっといい。垂直跳びがすごく高い店員さんがいたらファンになりそうだ。あるいはこうだ。
本がない。そもそも本がなければ立ち読みできない。本はすべてがカタログ式になっていて、iPadとかで閲覧し注文する。会計を済ませるとようやく本が出てくる。自動販売機式だ。でもそれ、ネットで買うのと一緒じゃないか。
と、ここまで書いて考える。本が店頭で売れていた時代は、「いつもこのシリーズを買うから」「この作家が好きだから」「毎月この雑誌を買うから」という理由で中身のわからない本や雑誌も売れていたのだろう。でも今は、同じ理由ならネットで予約すれば発売日に送料無料で自宅に届く。結局はネット通販との戦いなのか。本屋さんが立ち読み防止に苦労するのは、悪質な立ち読みが後を絶たないからだ。新品の本が汚される。買わずに読んで満足する輩がいる。それによって売上が落ちる。でもビニールをかけるとネットにお客さんをとられる。悪循環。本屋さんが好きだから、町の小さな本屋さんが次々に閉店するのを見るのはかなしい。でも、「どんな本かわらないのに買えって言われてもな…」と思うから、かなしいけど、納得してしまう。
先月は「カフェ持込可」の本屋さんのことを悪く書いてしまったけれど、もやっとする反面、内心その試みは面白いとも思っている。本を買うのは楽しいことだ。いろんな本屋さんがあった方が面白い。本屋さんの可能性に制限はない。ただ、その「本を買う楽しさ」を妨害するようなこと(選びたいのに選べないとか、せっかく新品買ったのに古本みたいだったとか)を、本屋さんにやってほしくないのだ。そして同時にそれは、本屋さんが嫌がることを、僕らもしてはいけないということ。当たり前の話だが、まず第一に利用する側のマナーの問題でもあるのだ(と、とりあえず真面目な感じにまとめてみる)。
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