Essay
健康と本
#15|文・藤田雅史
健康本を読むと、なんというか、健康にならざるをえないという気がする。この一ヶ月のうちに6冊の健康に関する本を読んだので、一ヶ月前よりも「自分は長生きして当然」という気がしている。健康本が気になるのはなにも最近病気をしたとか健康診断の判定が悪かったとか、そういうことではない。ときどき自然とやってくるのだ。健康本ブームが。
健康本とひとくくりにいっても、手にとるのは主に食事に関するものばかりだ。「健康というのはそもそも身体の状態である」→「身体は食べ物によってつくられる」→「だったら食べ物をよくすればより健康になれるだろう」という単純な発想でもって、「食事術」とか「なんとか食」みたいな本をどさどさと買って乱読する。これがけっこう面白い。
健康に関する情報を手に入れるのに、健康本のいいところは、テレビや新聞、一部の雑誌などと違って、忖度の影響が比較的少ないことだ。たとえば乳製品にネガティブな側面があったとして、牛乳のCMをばんばん流している情報番組は絶対にそれを番組内で取り上げない。コンビニの広告を掲載している新聞の紙面に「コンビニで食べ物買うとやばいです」という記事は載せられない。仕方ない。それが資本主義というものだ。そんな中で、発信者の考えること、伝えたいことをそのままダイレクトに表現できる数少ないメディアのひとつが、本、だと思う。
ここでは、いろいろな本を一緒に買ってみる、というのがポイントだ。ある本は「最新のエビデンス」が売りで、ある本は「日本人の体質に最適」という切り口で、またある本は「○○が危ない!」のようにひとつの要素に絞って、というように、健康な食生活をテーマにしたものだけでも、いろんなタイプの本がある。
血糖値の上昇を抑えるために糖質を選ぼう、食物繊維を積極的に摂って腸内環境をよくしよう、納豆をはじめとした大豆製品を食卓に加えよう、魚は良質なタンパク質と脂質をもっているのでしっかり食べよう、人工甘味料や添加物はできるだけ避けよう…などなど、数冊読んでいくうちに健康志向の人たちのトレンドのようなものがわかってくる。ふむふむなるほど。知識が増える。誰かに言って聞かせたくなる。自分のこれまでの食生活を反省する。そして必ず、途中で混乱する。
例えば肉について。「牛肉を食べるとガンのリスクが高くなるからあまり食うな」とAの本に書いてある。ほう、そうだったのか、と思う。ところがBの本には「長寿の人たちは赤身の牛肉をしっかり摂取している」とある。どっちなんだよ。例えばヨーグルト。Cの本に「ヨーグルトは素晴らしい発酵食品だ」と書いてある。しかしDの本では「日本人はそもそも乳製品が合わない」、Eの本では「乳酸菌が腸に届く前に胃酸でほとんどやられてしまう」とある。「栄養バランスのいい食事をしてたくさんの栄養素を摂取しよう」と多くの本に書かれている一方、少数派だが「バランスをあえて偏らせて必要な栄養素はサプリでごっそり摂れ」と言う人もいる。どの主張も、理系脳をフルに生かし、具体的なデータを揃え、その上でちゃんと編集者という第三者の校閲を経て本になっているくらいだから、読めばそれなりに説得力がある。だから迷う。うーん、今夜ステーキ食べたいけど、食べていいんですか?
とりあえず、健康本を読み比べてみて共通している部分は自分に食生活に積極的に取り入れ、相反していることはなんとなくお茶を濁す感じであいまいに受け入れるようにしている。「まあ、牛肉はそこそこ食べていますけど、食べ過ぎるってほどじゃないです大丈夫です、むしろ以前より食べていないくらいです」「ヨーグルトは好きだよ。でもいつも食べるときはほんのちょっとね」という感じに。Aの著者とBの著者が目の前にいたとしたら、AにもBにもいい顔をする感じだ。私、Aくんのことは好きだけどBくんのことも忘れられないの、的な。いつかAが大金持ちになったときにAと結婚できるように。でもBが出世したとき勝ち組にのって自分も出世できるように。関ヶ原の合戦のとき東軍にも西軍にも…えっと、何の話だこれは。
とにかくそんなふうに健康本を読んでいくと、なんだか本当に前より健康になる気がする。もちろん今の段階ではまだ思い込みだ。でも、病は気からというではないか。健康も気からだ。それに本が好きな人なら、本を読むだけで人生が豊かになることを知っている。本に影響されて人生が変わるということも。というわけで、健康本を一気に6冊も読んだ僕の身体はこれからすこぶる健康になる。はずである。
次は英会話の本でもどさっと買ってみるか。
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