Essay
進呈と本
#17|文・藤田雅史
この春に短篇集を上梓したことは、すでに書いた。うざいと思われるかもしれないくらい繰り返し書いた。人間は慣れる生き物とはよく言ったもので、出版されてすぐは書店を訪れる度になんとなく緊張していたけれど、最近は近所の書店に立ち寄って自分の本が並べられているのを目にすることにも、その扱いが書店によって全然違うことにも、ずいぶんと慣れた。いまだにPOP付きで話題書の平台に平積みにしてくれている超優良書店があれば、適当に郷土本扱いでお茶を濁す○○○○な書店もあり、しかしもうそんなことで心を乱されたりはしない。本屋さんはやっぱり、自分の本のあれこれと関係なく、平常心で楽しみたい。
ところで、出版にあたりこれまでお世話になったたくさんの方に拙著を謹呈させていただいた。家族、親族、友人、仕事関係の仲間や、取引先の皆さまに。直接手渡しをしたり、一筆添えて郵送したり。手間はかかるが、お陰でたくさんの人たちが我がことのように喜んでくれたし、友人たちはSNSでコメントを寄せてくれた。丁寧な感想の手紙やメールを送ってくれた人もいた。中には僕のかわりに周囲に宣伝してくれる現人神のような御仁もいる。でも…。
あなた、たぶん読んでくれてないですよね?
そういう相手はけっこう多い。これはとても気持ち的に難しいところで、当然、進呈する側としては、手渡して出版の報告をすることが目的である。「もしよかったら、読んでやってください」くらいのことは言うが、無理に読まなくてもいいですよ、受け取っていただければもうそれだけで十分、という気持ちである。嘘偽りなく本当に100%そういう気持ちである。受け取ったら読むのが当たり前だろ?みたいな傲慢な思いはさらさらない。「読んでくれたら嬉しいけど、無理しないでくださいね、受け取ってさえもらえれば読まなくたって全然いいですからね」そう伝わるように、渡してきた。
でも、でもでもでも、中には、この人だったら読んでくれるかなあ…、という“おおよその見当をつけたくなる”人もいる。せっかく本を出したのだからできうれば読んで欲しいし、その期待を持ってしまうのは、人間だもの、しょうがないじゃない。ちなみにその人たちは本を受け取るとき、たいてい口を揃えて「いやー読みますよー」「楽しみだなあ」と言ってくれる。「これはこれで一冊読んで、もう一冊アマゾンで買いますよ」というめちゃくちゃ素敵な人もいる。後光が差して見える。拝みたくなる。ひれ伏したくなる。でも…。
え、たぶん読んでくれてないですよね?
別に彼らが嘘をついていると糾弾したいわけじゃない。彼らも「読みますよー」とそのときは本心で言ってくれている。わかっている。でも、たぶん読んでないな、というのはその後の会話でなんとなくわかってしまう。悔しいとかかなしいとか、思うことがナンセンスだと頭で理解はしているが、やっぱり、ちょっと悔しいしかなしい。そんなときは(いつか読んでやってください、十年後でも二十年後でもいいから)と心の中で手を合わせる。
で、この事象、著者という立場ではとても複雑だけれど、しかし本を手に取った側に立つと、その気持ちはよくわかる。
もらった本は読めない。そうなのだ。もらった本って、意外と読めないのだ。前から欲しかった本とか読みたかった本ならば、喜んですぐに読む。でも、それまで興味のなかった本を突然に進呈されても、なかなか読書欲は喚起されない。もっと読みたい本がそばにあればそちらを先に読むし、なかったとしても、興味のないものに二時間も三時間も費やす気はなかなか起きない。
高校生のとき、親戚の叔父さんからサリンジャーの「ライ麦畑をつかまえて」をもらった。読めなかった。大学時代、友達に「これ面白いよ」と現代小説の文庫をもらった。読めなかった。大人になってから、母に「この本よかったわ」と現代美術に関する新書をもらった。読めなかった。仕事仲間から「これはマストな本でしょ」と仕事の資料の本をもらった。資料なのに、読めなかった。まじか。記憶をたぐると、もらって読破した本なんてないんじゃないか、とさえ思えてくる。そういえば大学の授業で購入した参考書も、教授の著作も、結局一冊も読み切っていない気がする。なんて失礼な人間なんだ、自分。
もらった本だけじゃない。借りた本もまたそうだ。借りた本は「読み終わった状態で迅速に返さなくちゃいけない」というプレッシャーがかかるから余計に厄介だ。特に強くレコメンドされた本ならなおさら。「読んだけれどちっとも面白くなかった」ということになったらどうしよう。そう考えると、置いてあるその本を取り上げるのさえ億劫で、重労働に感じる。ページなどめくれない。とりあえず冒頭だけでも読んでみる。しかし全然頭に入ってこない。困った。「つまらなかったよ」と正直に言って返せればいいのだけれど、そんなことを言ったら相手が傷つく。それは心の傷となって友情に暗い影を落とすかもしれない。本意ではない。そんなことを無駄につらつら考えているうち、読み切ることができぬまま、期せずして借りパク状態になった本がたぶん、僕の本棚には何冊かある。ごめんなさい。
とここまで書いて、そんな人間が本を進呈して読まれなかったくらいで肩を落としてどうするのだ、と思う。いや、別に気落ちしているわけではなく、(読んでくれないかなあ…)と音量を10分の1くらいにして心の中でつぶやいているだけなのだが、それでも…。(やはり、まずは自分がちゃんと人からもらった本や借りた本を読める立派な人間にならないといけないのだ。)
よく、人は言う。友人にお金を貸すときは、返ってこないお金だと思え、と。僕も戒めるように言う。友人に本をあげるときは、1ページも読まれないと思え、と。
それに、本だって人と同じで出会いだから、きっと書店で偶然のように出会って恋をするように見初めてもらうのがいちばんなのだ。
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