Essay
アフォリズムと本
#18|文・藤田雅史
有名な話だが、ソフトバンクの孫社長はある日Twitter上で、「髪の毛が後退しているのではない。私が前進しているのである」と言った。けだし名言である。
名言が好きだ。名言というのは、物事の要点をうまく捉えるだけじゃなくペーソスやユーモアがあって、それに触れると深く何かを悟ると同時に気持ちがふっと軽くなったりもする。なんというか、発見と納得と解放が一度に楽しめる感じがする。劇作を生業にする職業的な立場から言わせてもらうと、多くの場合、名言は常にドラマを含んでいる。孫社長の例でいうと、すでにそこには、勇敢な悲哀、とでも表現したくなるような切なる心の葛藤が垣間見られる。
さて、そんな名言を集めた、名言集、格言集、箴言集。その手の本が世の中にはごまんとある。ゲーテやニーチェといった著名な作家や哲学者のエッセンスをぎゅっと凝縮したものから、戦国武将や有名な経営者の言葉を集めたビジネス本、果てはドラえもんや島耕作、スラムダンクの安西先生など漫画のキャラクターのものまで、本屋に行けばたくさんの名言本が売られている。
大事なことが端的に、単刀直入に、ズバリと一言でわかるから、名言本はとてもお手軽だ。例えるなら、キャッチーな歌のサビだけを集めた名曲集やスポーツのハイライト映像のようなもので、「サッカーの試合を90分見続けるのは苦痛だし時間がかかるから、ゴールシーンだけ見たいんだよ」というのによく似ている。ちょっと横着な感じもするけれど、「メッシの素晴らしいゴール」は、試合開始から見ようとゴール前にラストパスが出る直前から見ようと「メッシの素晴らしいゴール」であることに変わりはないのであって、名言というのは一行すらすらっと書かれているだけで、それのみ単独で成立する。まるで一本の詩のようでもある。そして詩よりもうんと実用的だ。
ただ、本屋で名言本を手にとるのはちょっと恥ずかしい。特に平積みされているベストセラーだとなおさらで、なんというか、安易なヤツ、と周囲に思われているような気がする。特に最近の新刊本は「人生が変わる」「教養が身につく」「勇気がわく」みたいな余計なサブタイトルや帯のキャッチフレーズが目立って仕方ないので、それを持ってレジに並んでいるとどうもまわりの視線が気になって居心地が悪いのだ。自意識過剰万歳。
だから名言そのものは好きなのに、この類いの本はあまり持っていない。そんななか、とても大切にしている名言本がある。新潮文庫の『両手いっぱいの言葉―413のアフォリズム』と、角川文庫の『ポケットに名言を』。どちらも寺山修司だ。
この二冊は、まだ大学に入ったばかりの頃、おそらく18歳のときに買った。以来、ときどきページをめくっては、毎回、新しい何かを胸に得ている。それは闇夜に光る小さな灯火のようなものだったり、雲ひとつない青空のようなものだったり、あるいは深い海の底のようなものだったり、やさしい春風のようなものだったり、自分の置かれた状況や感情によってさまざまだけれど、どういうわけか、いつも気に入りの一節が必ず見つかるから不思議だ。
ちなみに前者は寺山自身の過去の著作の中から集められた箴言集で、後者は世界の文芸作品から映画、歌謡曲にいたるまで、いろいろなところから気に入りの台詞や表現を集めた名句集になっている。二冊持っていると寺山修司の世界の外側と内側、どちらも気軽に楽しめるので実にいい感じ。ときどきブックオフで100円で売られているのが不憫でならず、(すでに何度も買っているのにまた、)捨てられた子猫を助けるような気持ちでつい買ってしまう。
「『名言集というのは、言葉の貯金通帳なのね』と言った女の子がいる。そうかも知れない。」
(引用―両手いっぱいの言葉―413のアフォリズム)
「時には、言葉は思い出にすぎない。がだ、ときには言葉は世界全部の重さと釣り合うこともあるだろう。そして、そんな言葉こそが『名言』ということになるのである。」
(引用―ポケットに名言を)
どちらも文庫なので、カバーを外してしまえば名言集とは気づかれない。さらにどちらも大きめのブックオフに行けば100円コーナーで揃う。世界中でこれ以上コストパフォーマンスに優れたものを僕は知らない。ついでに余計な情報だけれど、Amazonで『両手いっぱいの言葉―413のアフォリズム』のページに行くと、目次のところ、ブラウザの画面の無駄遣いが激しくてちょっと笑えます。
寺山修司はしばしば言葉を「友」に例える。普段は寡黙で、でもけっして裏切らない、この二冊はまさにそんな、親しい友人のような本だ。本音を言えば、自分だけの友でいて欲しい。
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