Essay
昼食と本
#22|文・藤田雅史
新型コロナウイルスで、世の中が大混乱だ。我が家にはまだこれといって大きな影響は出ていないけれど、いつどこでウイルスに感染するかわからない。普通に外出をすればエレベーターのボタンからお店のドアレバー、牛丼屋の券売機のタッチパネルにいたるまで、誰かがベタベタ触った部分にどうしても触れざるをえないわけで、目下すこぶる体調がよいものの、実は自分が感染者であるという可能性を捨てきることはできない。
感染リスクを減らそうと思えば、不要不急の、と要請されるまでもなく外出はできるだけ避けた方がいい。今月に入ってから飲み会はことごとく中止になり、仕事の打合せもメールで済むものはすべてメールで済ませるようになった。
悩みどころなのは、普段の昼食だ。僕は平日、いつもラーメン屋や中華料理屋、定食屋などに通っている。ところがつい最近、事務所から車で10分の身近な場所で全国ニュースレベルのクラスター感染が発覚した。まじか。そのせいで周辺の飲食店に積極的に足を向けようという気持ちになれない。もし隣の客がゲホゲホ咳をしていたら…。だんだん、何もかもが疑わしく思えてくる。
そこで逆の発想をしてみることにした。昼食は食べに行かずに、自分で作ればいいのだと。週末に自宅で何品か作り置きをしておいて、毎日少しずつ食べれば、外に出なくて済むし、栄養バランスも考えられるし、経済的でもある。そうだ、そうしよう。
思い立ったが吉日。さっそく近所のスーパーに…、ではなく、本屋に行った。何をはじめるとき、まずは本を買ってみる、というのが長年の習慣になっている。料理経験がないわけではないけれど初心者であることは間違いなく、もう8年くらいまともに台所に立っていない。作ったとしてもカレーくらいだ。そもそも作り置きが初体験なので、何をどうやって作ればいいのかわからない。レシピ本に頼るのが安全だ。
料理本のコーナーで「作り置き」を探して愕然とした。相当な数の本が並んでいる。選べない。一瞬、「英語を勉強し直そう」と決意して本屋に出向き、結局何を買っても最後までやり通せなかった苦い記憶(しかも数え切れないほどの記憶)が目の前にオーバーラップする。料理のテキストを選ぶのは、英会話のテキストを選ぶのに似ている。英会話の本では「話せる!」「聞き取れる!」といったフレーズに惹かれるように、レシピ本の場合は「かんたん!」「やさしい!」に視線が吸い寄せられる。初心者だからそれは当然なのだけれど、「かんたん!」がこうもたくさんあるということは、逆に英語と同じで「けして簡単ではない」証拠なのではないかと思えてしまう。
悩み抜いて、とりあえず2冊買った。1冊は、野菜を中心にした「栄養たっぷり」と「かんたん」を謳うもの。もう1冊は、初心者でもわかりやすいよう、作る過程の写真をちゃんと順を追って掲載しているものにした。「作ってる途中の写真」は大事だ。初心者は「適量」と言われても何が適量なのかわからない。「ひとくち大」と言われても、ひとくちの大きさがわからない。これまで、そういう記述でさらっと書き飛ばしてあるだけのレシピを見る度に、買い物してレジで「おつりは適量です」とか言われたらあなた、十中八九キレるでしょう、口の大きさだってあなた、人それぞれ違うでしょう、近藤勇はゲンコツが口に…なんて言いがかりをつけたい気分になってきた。だからちゃんと、「ひとくち大」に切られた肉片が載っている親切な本を選ぶことにした。
というわけでこのあいだの日曜日、2冊のレシピ本を開いて台所に立った。結論から言うと、大成功だった。小松菜とにんにくの辛味炒め、海老とブロッコリーの炒めもの、それから鶏としめじのガーリックバター。この3品を作って容器に保存した。そして月曜から木曜まで、仕事の合間に主食にパスタを茹でて、おかずとして皿にその3品をきっちり盛りつけ、食べた。実に美味かった。自分、最高じゃん、と思った。これはいい。
外食をすると、1回平均千円として5日で5千円。これが作り置きをすると半額以下で済む。野菜もしっかり摂れる。さすがに金曜日までは日持ちしないから週に一回くらいは外食するとしても、この習慣が経済的かつ健康的であることに変わりはない。もしかしてレシピ本って、これまでに買った本の中で最もコストパフォーマンスに優れた本なのではないかと思いはじめている。もちろん、このまま続けば、だけれど。いや、絶対続ける。そう決意して、またしても英語学習の記憶がオーバーラップする。
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